"超枠"な発想と行動力
- 2014/10/13
- 22:08

知識や技能を、必要とする方に分かり易いかたちで教え、
の人たちの仕事や生活に役立ててもらう。
それが教育やコンサルティングと言えます。
また、その人本来の良さや、ちからを引き出すのもまた教育です。
仕事の内容は、決して一方的に「教える」ことにとどまりません。
教えた相手からも、報酬以外で必ず何らかのフィードバックがあり、
互いに学び合い成 長し合えるものです。
教育やコンサルティングは提供する側とされる側だけのものではなく
人、人と人の関係、システム、コミュニティそのものの
さらなる発展につながる仕事だと言えます。
関連サイト http://nariwaijob.com
「

ビッグチャンスをモノに
辻口寛一さん(「聞き出す力」セミナー主宰)
【なりわいのすじみち】
一人っ子だったが、甘やかされて育ったわけでなく、逆に何でも一人でこなすことで独立心旺盛が育まれた。私立中高一貫校から都内の有名私大に進学し、卒業後は旅行会社に就職。その後人材採用サービスや教育研修部門をもつ会社での勤務を経て大手金融グループにスカウトされた。ここで新規事業として人材コンサルティング会社を立ち上げたのち、34歳で社長に就任。MBOを実施して独立した。しかし金融危機をきっかけに人材事業から撤退し、現在では企業コンサルティングや教育・研修などを主業務とする。
【モットー】
「役割」として機能し、リスペクトされるサービスを
中高6 年間学んだ、都心の私立一貫校では勉強は出来たほう。ずっと理数系が好きだったが、心理学を学んでみたいと考え、大学では心理学専攻。男子としては「だい ぶ変わったヤツ」だった。そんな「変わったヤツ」は、新入社員研修の場を「炎上」させるきっかけを作ったのを皮切りに、次々に超枠な行動力を見せるように なっていく。 |
●問題解決力と独立心が培われた子ども時代
辻口さんは、大田区の工業地帯で工場と飲食店を経営する両親のもとで育った。一人っ子だったが、両親はともに仕事のことで忙しく、兄弟もいなかったため、「自分でなんとかする」ということが自然に身に付いていった。よく、一人っ子は甘やかされる、というが、辻口さんには「独立心」が育まれていったのだ。
やがて、子どもなりに自分の将来について考え始めたが、当時その地域は治安が良いとは言えず、まずはこの環境から出たいと思うようになった。それには勉強して都心部にある私立中学に通おうと考え、中高一貫の私立中学へと進んだ。理数系科目が得意だったが、大学進学にあたっては、心理学を学びたいと考え、悩んだ末に立教大学の文学部心理学科(当時)へと進む。男子で文系といえば多くは経済、法学、商学部に進むのが普通だった。「だいぶ変わったヤツだったと思います」。
●やんちゃが過ぎて札幌へ飛ばされる?!
卒業するころは、いわゆる「バブル期」といわれる経済活況期。企業側は多くの人手を欲しており、就職活動では、空前の売り手
市場だった。辻口さんも、学生に人気がある旅行会社への就職が決まった。 しかし入社後すぐの新入社員研修で、マナー担当の講師とぶつかってしまった。
発端は電話の受け答え研修のとき。講師は「軽やかに、明るい声で、はい、○○です、と答えるように」と指導する。辻口さんは低く落ち着いた声の持ち主だ。そもそもトーンの高い声など出るはずもない。それなのに、どうにも嫌みとしか思えない言い方で何度もやり直しを命じられた。辻口さん、だんだんバカバカしくなってきて、反撃を開始した。とはいえ、「食ってかかる」という感じではなく、「マナーを研修している割には、その言い方はおかしいのではないか?」と堂々と言い放ったのだ。「若いころで、やんちゃだったんですね」。
ほかの新入社員も、その講師に対して不満をため込んでいたらしいく、辻口さんの論陣に便乗し「そうだ、そうだ」の大合唱。研修の場は一気に炎上してしまい、講師は控え室へと逃げ込んでしまった。
人事課長がその騒ぎを聞きつけやってきた。辻口さんが騒ぎの中心人物であることは見ればすぐにわかる。その後、人事に呼ばれ、「君、元気いいねえ。札幌とか福岡とかって、好きかい?」と聞かれるので、のん気に「札幌なんか好きですね」と答えたところ、配属は札幌支店に。要は配属早々に飛ばされたのだが、辻口さんはとくに悲観することもなく、希望いっぱいに社会人一年目を札幌でスタートした。
●「出来そうな気がする」とMBO(マネジメント・バイ・アウト)!
札幌は若者の一人暮らしには良いところで、楽しく会社員生活を送っていたが、父親がガンになったと知らせが来た。一人息子だ。なるべくそばにいてやりたいと考えた。そこで東京で勤務できる会社を探そうと、リクルート社へ相談に行った。すると物怖じしない態度や、はっきりしたもの言いが気に入られたのか、「ウチへ来ないか」という誘いを受けた。
そうして配属されたのは、人材採用サービスや教育研修を担う部署。ここで辻口さんは人材紹介のノウハウを学ぶことになった。 そこでキャリアを積み、26歳になったころ、チャンスがめぐってきた。大和証券グループからスカウトを受けたのだ。IPO(新規株式上場)を支援するために、人材紹介や組織コンサルティングを行う部門を作りたいので来て欲しいのだという。IPOを果たすには、資金調達や売り上げを伸ばすだけでなく、上場企業として適正な組織を作る必要がある。辻口さんは26歳にして、その新会社の立ち上げに携わった。
そして、若くして業務の中枢を担うようになり、34歳にして社長になる。小さな会社ではあるが、当時、大和証券グループのなかで最も若い社長だった。
しかし、当時は、「金融業を営む会社は、人材紹介や派遣業を営むことは出来ない」という規制があった。そのため、グループ会社を再編する際に、他の関連会社と合併させることが出来ず、この会社をどう取り扱うかが問題になった。 ここでなんと辻口さんが提案した策が「MBO(マネジメント・バイ・アウト=経営陣による企業買収)」。株を買い取るのは、若干34歳の辻口さんだ。
周囲の反応は「こんな若造に、伝統があり保守的な大和証券グループが関連会社を売却するわけがない」といった声がほとんど。しかし辻口さんは、「前例がない」「出来るわけがない」という声には耳を貸さなかった。強がりでもなんでもなく、「なんとなく、出来そうな気がする」という、根拠のない自信があったのだ。「こういうところは、一人っ子育ちだったからかもしれませんね」。
実は、大和証券グループ関係者の中には、「マネジメント・バイ・アウトは、これから普及する」という認識があったため、辻口さんは「それを大和証券グループが先陣を切ってやったら、対外的に大いにアピール出来るじゃないですか!」と説いて回ったのだ。結果、紆余曲折はあったが、最終的に友好的に独立することに成功した。
とはいえ、個人で企業買収を手掛けるのは簡単ではない。買収資金を工面するのも一苦労で、最後は150万円ほど足らず「オートローンで借りました(笑)」。
そうやって、立ち上げたのがIPOを目指す企業専門の人材バンク「ベンチャーエントリー(VE)」だった。
●「ストーリー」で人材と会社をつなぐビジネス
辻口さんが手がけた人材紹介の方法は、紹介する企業と人材の歴史を「ストーリー化」して、双方の理解を深めさせるというものだ。
企業だったら、創業者がどんな思いを持って創業し、どのような変遷があって今に至っていて、現在はどのような状況で、 今後どうしていきたいのか、ということを丁寧にヒヤリングしてストーリー化する。クライアントは主に成長中の中小企業であるため、その成り立ちや経営者の人となりはそれほど知られていない。辻口さんのサービスは、パンフレットやウエブサイトで得られる「型どおりの情報」ではなく、「血の通ったビジネスストーリー」によって本当の会社の姿を応募者に理解してもらおうというものだった。
人材のほうも同じで、大学で何を専攻し、その後どんな分野の会社に入ってどのような業務を経験して、得意とするものは何なのか。そして、なぜ今転職活動をしているのか、などを聞き出してストーリー化する。これなら「資格、年齢、学歴」などのデータからでは伺い知れない、その人となり、仕事に対する姿勢、意気込みが伝わる。
肉声の聞こえてくる情報を提供することで人材・企業相互にとってハッピーなマッチングが実現するサービスを展開したのだ。他の人材紹介会社にはない特徴だった。
こうした丁寧なマッチング作業は評判を呼び、順調に業績を伸ばし続けた。MBO時に出向社員が全員退職したため、社員3人ほどの小さな規模でスタートしたのだが、5年もすると社員数34名、粗利4億円、経常利益6,500万円ほどの規模にまで成長していた。
●順風満帆のさなか、事業を閉鎖することになったのは…
まさに順風満帆。社員は皆、やる気に満ちていたし、経営面でも何の問題もなかった。
そんなとき、世界中を揺るがせる出来事が起きた。リーマンショックだ。会社はたちまち業績が低下し、前年に粗利4億あった事業の売上が半年で「0」になった。理由は明確で、IPOを目指す企業が激減したのだ。辻口さんは、当時のIPO企業数を示すデータを見せてくれた。
パソコン画面上に示された折れ線グラフは、毎年のIPO企業数を示すものだった。2006年には188社あったのが、2009年には19社に激減している。ちなみに、2012年現在でも48社にとどまっている。これはもう、マーケットが崩壊してしまったようなものだ。バブル崩壊時でも、92年に27社に落ち込んだ後は、93年90社、94年150社とすぐに回復しているから、リーマンショック後の落ち込みと停滞がいかに凄まじいかわかるだろう。
リーマンショックというと、どうしても投資家のダメージがクローズアップされる。そのため「株で損したんじゃないか」と誤解されることが多いようだが、「株価は上がり下がりするけど、IPO企業数が年間100社を下回ることはまずないんです。みんな勘違いしてるんですよね」。当時を振り返ってひょうひょうと語る辻口さんだが、言葉の端には悔しさがにじむ。
マーケットが崩壊した状況では、サービスを続けられるはずがない。社員は意欲の高い優秀な人材ばかりだったが、リストラを敢行しなければならなかった。苦渋の選択。リストラを告げる前日は、眠れなかった。 しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。次の展開を考える必要があった。特長のない、ただ単なる人材紹介業のみで会社を存続させたくはなかった。リスペクトされないビジネスならやらないほうがいい。そこで、人材事業は閉鎖することに決めた。辻口さんには、人材ビジネスのリードオフマンとしての自負と意地があった。
●ストーリーを「聞き出す」ことをビジネスにした新たな展開
では何を始めるか。今度は自身のキャリアの洗い出しの番だった。そこで注目したのが、「ストーリーを聞き出してまとめる」というスキル。人材紹介を行う際にヒヤリングしてまとめていた会社のストーリーを、別なかたちで活用することを考えたのだ。そうして次に手がけたのは、会社のストーリーをまとめて、営業や社員教育、人材採用に活かせるようにコンサルティングするビジネスだった。創業時からの歴史や、業務内容の変遷などを網羅する資料は、意外とないものだ。だから、社員たちは自分たちの会社の成り立ちを、それほど知らない場合が多い。
ヒヤリングして文章化する、という作業だけを見れば、ライターとさほど変わりはない。しかし、ライターとの決定的な違いは、辻口さんにはインタビュースキル、ライティングスキルがあるだけでなく、経営経験があること。それまで培ったスキルを武器に新たな業務展開を開始したのだ。社名を「クロスロード」と変更しての、再出発だった。
辻口さんが、例えば先日作った資料は…と手元の一冊を見せてくれた。ある企業の30周年記念誌で、先方から示された完成までの期間は、創業記念イベントまでの半年間。そこでまずは8人ほどの関係者からヒヤリングを行い、話を録音した音源とインタビューメモをもとに、その会社の「ビジネスストーリー」を執筆。顧客企業の担当者には、年表作りを依頼した。
タイトな工程ではあったが、約半年後に無事完成。しかも読んだ創業者の家族が涙を流すほどの、素晴らしい出来上がりとなった。
ビジネスストーリーを文章化したものは、テキストとして提供するため、クライアント企業はこれを加工して会社案内や社員教育に役立てることができる。ヒヤリングして文章化したものを、著作権ごとクライアントに譲渡するかたちで一件数百万円単位の成果品として提供するサービスも行った。
口コミなどで受注が増え、これまでに70社ほど手がけた。「転んでもただでは起きない」強靭な意志と粘り強さによって、これまでのキャリアから創出したビジネスが見事に成功したのだ。
●「聞き出す」ノウハウをおすそ分けする気持ちで
やがて同時進行するように、ビジネスセミナーで「聞き出すノウハウ」を提供するセミナーを行うようになった。世の中の多くの人は「伝える」ことばかり考えていて、「聞き出す」ことを疎かにしており、スキルも磨いていない。セミナーではこのスキルを「おすそ分け」するつもりだった。
すると、このセミナーの内容に多くの企業が関心を示し始めた。中でも熱心だったのが日本IBMで、この講座を社員教育に取り入れたいと打診してきたのだ。
IBMでセミナーを開催した後に実施したアンケートでは、受講者の満足度が90点を超えていた。これは、滅多に出ないような高得点である。「聞き出す力」の教育・研修には、確かなニーズがある。大きな手ごたえを感じた。
この経験に力を得て、2010年にクロスロードは業務内容を教育・研修事業にシフトする。積み上げてきたものが新たな形をなし始めた。
●「聞き出す力養成講座」発進
「聞き出す力」とは、「聞き手主導で協力的に話を聞き出すスキル」で、人を相手にする仕事であれば絶対に必要なスキルである。ポイントは「質問」と「傾聴」のバランスをとることで、質問ばかりだと尋問のようになってしまうし、傾聴ばかりだと聞きたいことを聞き出すことができない。こうしたスキルを、短期間で体系的に教育するプログラムは今までになかったのだ。さらに、相手に警戒されずに理由を聞き出す方法や、不要な話の腰の折り方など、知ればすぐにでも使える実践的なスキルが豊富に盛り込まれている。
その後、IBMでの評判を聞きつけた他の企業からの問い合わせが相次ぎ、現在クロスロードは多くの大企業をクライアントにしている。自身が体系化した教育研修プログラムで、大企業を相手にビジネスをする。手ごたえとやりがいは十分だ。今後も、クロスロードのサービスを受けて、社員の「聞き出す力」を育成し、業績を伸ばしていく企業が増えていくに違いない。
●よいサービスとは、ニーズとは
よく、「経営には、商品・サービスに対する思い入れが大切だ」と言われる。しかし、辻口さんは、それは「独りよがり」なのではないか、という。経営学者のドラッカーが、「顧客視点を持て」と言っているが、「自分が売りたいものを売る」のではなく、「顧客が欲しているものを売る」ことが大切だという。なるほど、辻口さんの口からは意外にも一度も「好きだから」「これをやりたいから」という言葉が出てこない。そこにあるのはビジネスをモノにしようというどん欲な姿勢と、顧客ニーズに軸足を置く、戦略的発想だ。矛盾も逡巡もない。
サービスの質についても同様の考えだ。辻口さんは、このことを説明するとき、自身の手帳を見ながらサラサラと紙と鉛筆で言葉を書き入れていった。サービスの「レベル感」を示すもので、最低のサービスから始まり、最高のサービスまでを、お客様の立場から表したものだ。いちばん下から「二度と買わない→不満足→他と変わらない→使って良かった、いちばん頼りになる→これ無しには仕事が成り立たない」という順番になっている。
「仕事を完璧に仕上げるのは当たり前の話。その上で、その人以外に果たせない『役割』を持つこと」。それが最高に近い状態だという。辻口さん自身が日頃から実践し、心がけていることだ。パソコンなら、OSの機能を果たすぐらいの意識が必要、ということだろうか。
●「組織」は意識しないが起業家であることがベストとも思わない
今後の展開として、とくに野心的な目標はない。いまニーズがあることに対して最高のものを提供し続けるだけだ。 クロスロードの業績は、教育研修事業のヒットのおかげで堅調である。とはいえ、辻口さんは「会社を大きくする」ということに何の魅力も感
じていない。そのため、人を採用して規模を拡大しようとは考えていない。「自分を測るものさし」は、組織の大きさでも、ましてや卒業した大学や取得した資格の数でもないと考えている。そういう意味で「枠に収まらないというか、当てはまらないというか・・・」と苦笑する。
だから辻口さんは「雇用のミスマッチ」「就業後のミスマッチ」という状態に首をかしげる。大切なのは「世間一般で評価されること」と「自分を測るものさし」を混同しないことだ。「自分を測るものさし」は、あくまでも自分で決めればいい。 「もっと自分に自信を持てばいいと思うんですよね、『なんとなく出来そう』という気分が大事」。根拠のない自信でもいいから、自分を信じて、ハッピーな錯覚を抱くこと。今、何かに対して踏み出せないでいるのなら、自分を信じることがまず第一歩になるかもしれない。
幼いころから自分を信じ、自分のことは自分でなんとかしてきた辻口さんの、すべての働く人へのエールだ。
※セミナー風景以外の写真はイメージです。
辻口さんのお仕事5箇条
辻口さんは、大田区の工業地帯で工場と飲食店を経営する両親のもとで育った。一人っ子だったが、両親はともに仕事のことで忙しく、兄弟もいなかったため、「自分でなんとかする」ということが自然に身に付いていった。よく、一人っ子は甘やかされる、というが、辻口さんには「独立心」が育まれていったのだ。
やがて、子どもなりに自分の将来について考え始めたが、当時その地域は治安が良いとは言えず、まずはこの環境から出たいと思うようになった。それには勉強して都心部にある私立中学に通おうと考え、中高一貫の私立中学へと進んだ。理数系科目が得意だったが、大学進学にあたっては、心理学を学びたいと考え、悩んだ末に立教大学の文学部心理学科(当時)へと進む。男子で文系といえば多くは経済、法学、商学部に進むのが普通だった。「だいぶ変わったヤツだったと思います」。
●やんちゃが過ぎて札幌へ飛ばされる?!
卒業するころは、いわゆる「バブル期」といわれる経済活況期。企業側は多くの人手を欲しており、就職活動では、空前の売り手

発端は電話の受け答え研修のとき。講師は「軽やかに、明るい声で、はい、○○です、と答えるように」と指導する。辻口さんは低く落ち着いた声の持ち主だ。そもそもトーンの高い声など出るはずもない。それなのに、どうにも嫌みとしか思えない言い方で何度もやり直しを命じられた。辻口さん、だんだんバカバカしくなってきて、反撃を開始した。とはいえ、「食ってかかる」という感じではなく、「マナーを研修している割には、その言い方はおかしいのではないか?」と堂々と言い放ったのだ。「若いころで、やんちゃだったんですね」。
ほかの新入社員も、その講師に対して不満をため込んでいたらしいく、辻口さんの論陣に便乗し「そうだ、そうだ」の大合唱。研修の場は一気に炎上してしまい、講師は控え室へと逃げ込んでしまった。
人事課長がその騒ぎを聞きつけやってきた。辻口さんが騒ぎの中心人物であることは見ればすぐにわかる。その後、人事に呼ばれ、「君、元気いいねえ。札幌とか福岡とかって、好きかい?」と聞かれるので、のん気に「札幌なんか好きですね」と答えたところ、配属は札幌支店に。要は配属早々に飛ばされたのだが、辻口さんはとくに悲観することもなく、希望いっぱいに社会人一年目を札幌でスタートした。
●「出来そうな気がする」とMBO(マネジメント・バイ・アウト)!
札幌は若者の一人暮らしには良いところで、楽しく会社員生活を送っていたが、父親がガンになったと知らせが来た。一人息子だ。なるべくそばにいてやりたいと考えた。そこで東京で勤務できる会社を探そうと、リクルート社へ相談に行った。すると物怖じしない態度や、はっきりしたもの言いが気に入られたのか、「ウチへ来ないか」という誘いを受けた。
そうして配属されたのは、人材採用サービスや教育研修を担う部署。ここで辻口さんは人材紹介のノウハウを学ぶことになった。 そこでキャリアを積み、26歳になったころ、チャンスがめぐってきた。大和証券グループからスカウトを受けたのだ。IPO(新規株式上場)を支援するために、人材紹介や組織コンサルティングを行う部門を作りたいので来て欲しいのだという。IPOを果たすには、資金調達や売り上げを伸ばすだけでなく、上場企業として適正な組織を作る必要がある。辻口さんは26歳にして、その新会社の立ち上げに携わった。
そして、若くして業務の中枢を担うようになり、34歳にして社長になる。小さな会社ではあるが、当時、大和証券グループのなかで最も若い社長だった。
しかし、当時は、「金融業を営む会社は、人材紹介や派遣業を営むことは出来ない」という規制があった。そのため、グループ会社を再編する際に、他の関連会社と合併させることが出来ず、この会社をどう取り扱うかが問題になった。 ここでなんと辻口さんが提案した策が「MBO(マネジメント・バイ・アウト=経営陣による企業買収)」。株を買い取るのは、若干34歳の辻口さんだ。
周囲の反応は「こんな若造に、伝統があり保守的な大和証券グループが関連会社を売却するわけがない」といった声がほとんど。しかし辻口さんは、「前例がない」「出来るわけがない」という声には耳を貸さなかった。強がりでもなんでもなく、「なんとなく、出来そうな気がする」という、根拠のない自信があったのだ。「こういうところは、一人っ子育ちだったからかもしれませんね」。
実は、大和証券グループ関係者の中には、「マネジメント・バイ・アウトは、これから普及する」という認識があったため、辻口さんは「それを大和証券グループが先陣を切ってやったら、対外的に大いにアピール出来るじゃないですか!」と説いて回ったのだ。結果、紆余曲折はあったが、最終的に友好的に独立することに成功した。
とはいえ、個人で企業買収を手掛けるのは簡単ではない。買収資金を工面するのも一苦労で、最後は150万円ほど足らず「オートローンで借りました(笑)」。
そうやって、立ち上げたのがIPOを目指す企業専門の人材バンク「ベンチャーエントリー(VE)」だった。
●「ストーリー」で人材と会社をつなぐビジネス

辻口さんが手がけた人材紹介の方法は、紹介する企業と人材の歴史を「ストーリー化」して、双方の理解を深めさせるというものだ。
企業だったら、創業者がどんな思いを持って創業し、どのような変遷があって今に至っていて、現在はどのような状況で、 今後どうしていきたいのか、ということを丁寧にヒヤリングしてストーリー化する。クライアントは主に成長中の中小企業であるため、その成り立ちや経営者の人となりはそれほど知られていない。辻口さんのサービスは、パンフレットやウエブサイトで得られる「型どおりの情報」ではなく、「血の通ったビジネスストーリー」によって本当の会社の姿を応募者に理解してもらおうというものだった。
人材のほうも同じで、大学で何を専攻し、その後どんな分野の会社に入ってどのような業務を経験して、得意とするものは何なのか。そして、なぜ今転職活動をしているのか、などを聞き出してストーリー化する。これなら「資格、年齢、学歴」などのデータからでは伺い知れない、その人となり、仕事に対する姿勢、意気込みが伝わる。
肉声の聞こえてくる情報を提供することで人材・企業相互にとってハッピーなマッチングが実現するサービスを展開したのだ。他の人材紹介会社にはない特徴だった。
こうした丁寧なマッチング作業は評判を呼び、順調に業績を伸ばし続けた。MBO時に出向社員が全員退職したため、社員3人ほどの小さな規模でスタートしたのだが、5年もすると社員数34名、粗利4億円、経常利益6,500万円ほどの規模にまで成長していた。
●順風満帆のさなか、事業を閉鎖することになったのは…
まさに順風満帆。社員は皆、やる気に満ちていたし、経営面でも何の問題もなかった。
そんなとき、世界中を揺るがせる出来事が起きた。リーマンショックだ。会社はたちまち業績が低下し、前年に粗利4億あった事業の売上が半年で「0」になった。理由は明確で、IPOを目指す企業が激減したのだ。辻口さんは、当時のIPO企業数を示すデータを見せてくれた。
パソコン画面上に示された折れ線グラフは、毎年のIPO企業数を示すものだった。2006年には188社あったのが、2009年には19社に激減している。ちなみに、2012年現在でも48社にとどまっている。これはもう、マーケットが崩壊してしまったようなものだ。バブル崩壊時でも、92年に27社に落ち込んだ後は、93年90社、94年150社とすぐに回復しているから、リーマンショック後の落ち込みと停滞がいかに凄まじいかわかるだろう。
リーマンショックというと、どうしても投資家のダメージがクローズアップされる。そのため「株で損したんじゃないか」と誤解されることが多いようだが、「株価は上がり下がりするけど、IPO企業数が年間100社を下回ることはまずないんです。みんな勘違いしてるんですよね」。当時を振り返ってひょうひょうと語る辻口さんだが、言葉の端には悔しさがにじむ。
マーケットが崩壊した状況では、サービスを続けられるはずがない。社員は意欲の高い優秀な人材ばかりだったが、リストラを敢行しなければならなかった。苦渋の選択。リストラを告げる前日は、眠れなかった。 しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにはいかない。次の展開を考える必要があった。特長のない、ただ単なる人材紹介業のみで会社を存続させたくはなかった。リスペクトされないビジネスならやらないほうがいい。そこで、人材事業は閉鎖することに決めた。辻口さんには、人材ビジネスのリードオフマンとしての自負と意地があった。
●ストーリーを「聞き出す」ことをビジネスにした新たな展開
では何を始めるか。今度は自身のキャリアの洗い出しの番だった。そこで注目したのが、「ストーリーを聞き出してまとめる」というスキル。人材紹介を行う際にヒヤリングしてまとめていた会社のストーリーを、別なかたちで活用することを考えたのだ。そうして次に手がけたのは、会社のストーリーをまとめて、営業や社員教育、人材採用に活かせるようにコンサルティングするビジネスだった。創業時からの歴史や、業務内容の変遷などを網羅する資料は、意外とないものだ。だから、社員たちは自分たちの会社の成り立ちを、それほど知らない場合が多い。
ヒヤリングして文章化する、という作業だけを見れば、ライターとさほど変わりはない。しかし、ライターとの決定的な違いは、辻口さんにはインタビュースキル、ライティングスキルがあるだけでなく、経営経験があること。それまで培ったスキルを武器に新たな業務展開を開始したのだ。社名を「クロスロード」と変更しての、再出発だった。
辻口さんが、例えば先日作った資料は…と手元の一冊を見せてくれた。ある企業の30周年記念誌で、先方から示された完成までの期間は、創業記念イベントまでの半年間。そこでまずは8人ほどの関係者からヒヤリングを行い、話を録音した音源とインタビューメモをもとに、その会社の「ビジネスストーリー」を執筆。顧客企業の担当者には、年表作りを依頼した。
タイトな工程ではあったが、約半年後に無事完成。しかも読んだ創業者の家族が涙を流すほどの、素晴らしい出来上がりとなった。
ビジネスストーリーを文章化したものは、テキストとして提供するため、クライアント企業はこれを加工して会社案内や社員教育に役立てることができる。ヒヤリングして文章化したものを、著作権ごとクライアントに譲渡するかたちで一件数百万円単位の成果品として提供するサービスも行った。
口コミなどで受注が増え、これまでに70社ほど手がけた。「転んでもただでは起きない」強靭な意志と粘り強さによって、これまでのキャリアから創出したビジネスが見事に成功したのだ。
●「聞き出す」ノウハウをおすそ分けする気持ちで
やがて同時進行するように、ビジネスセミナーで「聞き出すノウハウ」を提供するセミナーを行うようになった。世の中の多くの人は「伝える」ことばかり考えていて、「聞き出す」ことを疎かにしており、スキルも磨いていない。セミナーではこのスキルを「おすそ分け」するつもりだった。
すると、このセミナーの内容に多くの企業が関心を示し始めた。中でも熱心だったのが日本IBMで、この講座を社員教育に取り入れたいと打診してきたのだ。
IBMでセミナーを開催した後に実施したアンケートでは、受講者の満足度が90点を超えていた。これは、滅多に出ないような高得点である。「聞き出す力」の教育・研修には、確かなニーズがある。大きな手ごたえを感じた。
この経験に力を得て、2010年にクロスロードは業務内容を教育・研修事業にシフトする。積み上げてきたものが新たな形をなし始めた。
●「聞き出す力養成講座」発進

「聞き出す力」とは、「聞き手主導で協力的に話を聞き出すスキル」で、人を相手にする仕事であれば絶対に必要なスキルである。ポイントは「質問」と「傾聴」のバランスをとることで、質問ばかりだと尋問のようになってしまうし、傾聴ばかりだと聞きたいことを聞き出すことができない。こうしたスキルを、短期間で体系的に教育するプログラムは今までになかったのだ。さらに、相手に警戒されずに理由を聞き出す方法や、不要な話の腰の折り方など、知ればすぐにでも使える実践的なスキルが豊富に盛り込まれている。
その後、IBMでの評判を聞きつけた他の企業からの問い合わせが相次ぎ、現在クロスロードは多くの大企業をクライアントにしている。自身が体系化した教育研修プログラムで、大企業を相手にビジネスをする。手ごたえとやりがいは十分だ。今後も、クロスロードのサービスを受けて、社員の「聞き出す力」を育成し、業績を伸ばしていく企業が増えていくに違いない。
●よいサービスとは、ニーズとは
よく、「経営には、商品・サービスに対する思い入れが大切だ」と言われる。しかし、辻口さんは、それは「独りよがり」なのではないか、という。経営学者のドラッカーが、「顧客視点を持て」と言っているが、「自分が売りたいものを売る」のではなく、「顧客が欲しているものを売る」ことが大切だという。なるほど、辻口さんの口からは意外にも一度も「好きだから」「これをやりたいから」という言葉が出てこない。そこにあるのはビジネスをモノにしようというどん欲な姿勢と、顧客ニーズに軸足を置く、戦略的発想だ。矛盾も逡巡もない。
サービスの質についても同様の考えだ。辻口さんは、このことを説明するとき、自身の手帳を見ながらサラサラと紙と鉛筆で言葉を書き入れていった。サービスの「レベル感」を示すもので、最低のサービスから始まり、最高のサービスまでを、お客様の立場から表したものだ。いちばん下から「二度と買わない→不満足→他と変わらない→使って良かった、いちばん頼りになる→これ無しには仕事が成り立たない」という順番になっている。
「仕事を完璧に仕上げるのは当たり前の話。その上で、その人以外に果たせない『役割』を持つこと」。それが最高に近い状態だという。辻口さん自身が日頃から実践し、心がけていることだ。パソコンなら、OSの機能を果たすぐらいの意識が必要、ということだろうか。
●「組織」は意識しないが起業家であることがベストとも思わない
今後の展開として、とくに野心的な目標はない。いまニーズがあることに対して最高のものを提供し続けるだけだ。 クロスロードの業績は、教育研修事業のヒットのおかげで堅調である。とはいえ、辻口さんは「会社を大きくする」ということに何の魅力も感

だから辻口さんは「雇用のミスマッチ」「就業後のミスマッチ」という状態に首をかしげる。大切なのは「世間一般で評価されること」と「自分を測るものさし」を混同しないことだ。「自分を測るものさし」は、あくまでも自分で決めればいい。 「もっと自分に自信を持てばいいと思うんですよね、『なんとなく出来そう』という気分が大事」。根拠のない自信でもいいから、自分を信じて、ハッピーな錯覚を抱くこと。今、何かに対して踏み出せないでいるのなら、自分を信じることがまず第一歩になるかもしれない。
幼いころから自分を信じ、自分のことは自分でなんとかしてきた辻口さんの、すべての働く人へのエールだ。
※セミナー風景以外の写真はイメージです。
辻口さんのお仕事5箇条
●「役割」として機能し、なくては業務が成り立たない存在を目指す ●一つのこと、場所に固執しすぎない ●自分の「思い」にこだわりすぎず、ニーズに敏感になる ●リーダー自ら手を動かし、外に向かって口を動かす ●仕事は楽しむ |
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