面倒見の良さと豊かな人脈
- 2014/11/03
- 23:49

<まちづくり>
私たちが暮らすまちの活性化につながる仕事に携る方々をご紹介します。
工事などのハード面だけでなく「コンサルタント」「イベント企画・ファシリテーター」として、
まちづくりを多面的に支える仕事もあります。
人々の笑顔、次代を担う若者への眼差しが、
より多くの人が安心・安全・快適にに暮らす環境作りに反映されます。
土木と空手が築いた仕事のキャリアと
人脈。
決断力、行動力、専門知識、体力で、現役100%!
栗田則男さん(建設コンサルタント/空手指導者)
【なりわいのすじみち】
土木工学専攻だった大学を卒業した後、都の職員に。地域や町、交通基盤整備にかかわる仕事を多く経験した。50歳を前に今後のワークライフバランスのあり方を考え、53歳で起業。現在は自社の業務に注力する傍ら、建設補修材を提供する空手の後輩の会社で顧問をつとめる。
【モットー】
夢は実現可能と信じ、言葉にし、努力し続ければ
きっとかなう!
故郷の 親族の一人は、土木分野で地域に貢献した人物。今でも年配者の間では名士として尊敬されている。親族の成し遂げたことをなりわいの一部にし、大学では土木 工学を専攻する傍ら、空手にも力を入れた。土木と空手。この二つが栗田さんにとって、社会に出てからの人脈づくりやキャリア形成のキーポイントになった。 |
●土木×公務員
父親が土木系の技術をもっており、県の職員から民間の土木企業へ転身した。「土木を専門としていると一生仕事に困らない。とくに行政では、土木を専門としてきた人材は重用される」と若いころから言い聞かされてきた。いわれた当時は「土木」=「土方」というイメージしかなかったが、「そんなものなのかな」と考え大学は土木工学を専攻した。
地元・静岡で「栗田」の一族は名門だ。祖父にあたる人物は、気概、事業計画性、なによりも故郷を思う気持ちの強い大人物。地元で道路・橋梁整備など、大型インフラ整備を担ったり、地銀や地元新聞の創設にも関わった。栗田さんはそんな、土木事業をはじめ、地域コミュニティの基盤づくりに大きな貢献をした一族の空気のなかで育ったのだった。
大学卒業時は、静岡の県公務員採用試験と東京都の採用試験を受験。どちらも合格し、大学の指導教授のすすめもあり、都の職員になった。
公務員として働き始めると、学生時代はピンとこなかった、父親の言っていたことの意味がよく分かってきた。土木は、英語では「Civil engineering」。直訳すれば、市民のための技術だ。その技術と資格を備えた栗田さんのような人材は、行政においては「土木職」として、電気・機械等の技術職よりも重用された。
栗田さんが都の職員となったのは、ときあたかも高度経済成長期のまっただなか。そんな時代にあり、行政側も、道路、下水道、河川…とインフラ整備に積極的だった。
栗田さんも「土木」という専門性を武器に、数々の部署に配属され、民間業者と行政の橋渡しとなって、インフラ構築の現場で活躍。土木分野のコンサルタント的な資質を身に付けながら着実にキャリアを積んでいった。
●空手を通して築いた人脈
栗田さんは、学生時代から空手をたしなんでいた。空手を通して礼儀作法、正義感、文武両道の精神、弱者や後輩を思いやる気持ちを養っていった。
空手の世界では、先輩が後輩の面倒をよくみる分、後輩にとって先輩の言うことは絶対。しかも絆は長く続く。栗田さんは空手を通し、仕事とは別の「空手人脈」を築いていった。
加えて、栗田さんの卒業した大学はマンモス校。社会に出ると、どんな業界にも母校のOBがいた。栗田さんの職場も例外ではなく、むしろ他の業界や省庁よりも多いぐらいだった。
空手を通して備わった決断力や行動力、時儀を見極める眼力に加え、母校を主とする空手人脈が、栗田さんにとっては仕事に関する大きな「強み」となった。
こうして「土木」という専門性と「空手」が、栗田さんのキャリア構築の一つのキーポイントになった。
●50歳。岐路に立つ
何年も一つの職場にいると、「先」が見えてくるのが常。都の職員とて例外ではない。どんなに真面目に勤務していようと、トップのポストになれるのはごく少数だ。
栗田さんは土木系の技術職として、建築・土木業者との窓口も多く経験している。
民間業者とコミュニケーションをとる機会が増えるにつれ、いかに自分が「行政」という狭く、しきたりに満ちた世界にいるのかが分かってきた。
民間業者の空気に触れるなかで、自身がいかに社会を知らないか、ということを痛感するようになったのだ。
40代後半になった。
このまま、都の職員として定年まで在籍していれば、家族ともども「老後」の財政基盤は安泰だ。
だが、まだまだ健康にも体力にも自身がある。バリバリ仕事をして現役のままでいたい。日に日にそんな気持ちが募っていく。
50歳になり、「次のステージ」への渇望はさらに強くなった。空手で鍛えた身体と精神、そして仕事の経験値をもってすればこの先も長く、十二分に働ける。今度は新しい、別のステージで、忙しく仕事をして生き生きと毎日を過ごしたい…。
おのずと「次のステージ」は見えてきた。
それは、起業。ただ、それには大きな決断もまた、必要だった。
そこで母親に、公務員を早期退職し、起業したい旨を相談した。すると母親は「どうか辞めないで」。心配でたまらない、とばかりに毎日のように、「役人が会社を興したってうまくいくわけがない」と電話がかかってくる。「毎日祈っている」という。
その願いに素直に従うつもりもないが、かといって割り切れるものでもなかった。
そこで今度は、職場で世話になった大学の先輩に相談してみた。すると、「会社を興すことには大賛成だが、まずは二足のわらじを履いて地ならしをするのがよいだろう」とアドバイスをくれた。会社を作ったとしてもすぐに仕事は来ない、それには別の会社に入って営業職として働くなどして安定的な報酬を得られる状態にしておくのがよいだろうというのだ。
●一国一城の主に!
栗田さんは、自らの会社「都市計技術学株式会社」をおこし、先輩の助言にしたがい、学生時代の
空手人脈で、ある建設・土木事業の会社に顧問として所属することになった。週1回程度出社して、その他の平日は営業マンとして、自身が築いた人脈をつてに業務受注の橋渡しをするという働き方だ。
ここには、当初2年の契約で入社したが、営業成績のよさを認められて契約を更新。通算7年間在籍したのちに退職した。
ようやく、本腰を入れて自身の会社の業務に注力するときがきた。
会社の業務内容は都市計画、測量業務、土地区画整理事業、などインフラ整備やまちづくりにかかわる案件の建設・土木分野のコンサルティング。栗田家が、故郷で行ってきたインフラ整備や経済・情報発信の基盤づくりなど、まちづくり、地域づくりにかかわる事業を今、栗田さんは会社を通して行っているのだ。
大手が林立するなかで、これまでの人脈や、公務員時代に備えた業界の知識を基盤に、一つひとつ丁寧に仕事を創り上げていくのが栗田さんのやり方だ。
●空手の指導者として
現在の栗田さんの、もうひとつの顔は、空手の指導者だ。週5日間、都内や居住区の5カ所の道場・練習場で昼夜の決まった時間に指導に当たる。
「弟子」は子どもから社会人まで、老若男女さまざまだ。地元の特別支援学校でも教えている。
とくに子どもたちの指導は「未来を率いる人間を指導している」という喜びと使命感をもって行っているという。
注目すべきは子どもたちに文武両道を説く、その指導方針。言葉がけの中身が、ふるっている。
「カネモチになりたいか!なりたかったら、空手も勉強も一生懸命するんだぞ!」。
いくら野球やサッカーが好きでも大リーグやJリーグで活躍できるスター選手になれるのはごく一部。文武両道でオールマイティをめざすなかで、何か自分の得意も見えてくる。そういうことを、伝えたい。
現実を見据えて自分の人生をしっかり創っていくには体力と知力が必要だ。それを、身を持って知っている栗田さんならではの、言葉だ。
子どもたちはそうした、単なる夢物語でない、現実的な言葉に素直に反応する。「たくさんのお金をもらって、好きなものを買えるようになりたい!そのためにがんばろう」と、シンプルな動機付けになる。
●未来の夢は、南国の島で、悠々自適の生活
いま栗田さんは空手の後輩が起こした会社に、顧問として関わり、月に一回程度出社し、アドバイスを行っている。その会社は、建設補修材を製作する会社で、JRの事故や高速道路の老朽化という状況を受け、現在注目されている。
この会社の社長は「売上はまず従業員に」という考えの持ち主だそう。空手マンならではの、「後輩」への優しいまなざしが伺える。
将来の夢は「南の島に住んで、悠々自適の生活を送ることなんだ」。場所はもう決めている。観光で一度訪れて気に入ったボルネオ島だ。
自然いっぱいの環境や安くて新鮮な海陸の食材。「移住生活OB」の住まいに招かれ、マンションの高層で夕陽を見ながら味わった食事は忘れられない経験だ。
仕事から離れて第二の人生を過ごすには、栗田さんにとって理想の場所なのだそうだ。
「夢は思い続け、言い続けていればきっと実現する」がモットー。
だから、ことあるごとに「ボルネオに住む」という将来の夢を語っている。
言い続けたことは実現する…もちろんこの言葉は老後の夢に限ったことではない。安定した公務員を辞めての「起業」もそのひとつだった。強く望み、言葉にする。そうして得られたヒントを実践しながら一つひとつステージを上がってきたから、今がある。
72歳とはとても思えない、鍛え挙げられた堂々たる体躯。さまざまな情報から一つの決断を導き出す判断力。
これらは、土木と空手を通して培われた。
その心身をもって、いまなお栗田さんのまなざしは未来に向いている。
<栗田さんの会社> 都市計技術株式会社 http://www.toshikeigijutsu.jp
栗田さんのお仕事5箇条
父親が土木系の技術をもっており、県の職員から民間の土木企業へ転身した。「土木を専門としていると一生仕事に困らない。とくに行政では、土木を専門としてきた人材は重用される」と若いころから言い聞かされてきた。いわれた当時は「土木」=「土方」というイメージしかなかったが、「そんなものなのかな」と考え大学は土木工学を専攻した。
地元・静岡で「栗田」の一族は名門だ。祖父にあたる人物は、気概、事業計画性、なによりも故郷を思う気持ちの強い大人物。地元で道路・橋梁整備など、大型インフラ整備を担ったり、地銀や地元新聞の創設にも関わった。栗田さんはそんな、土木事業をはじめ、地域コミュニティの基盤づくりに大きな貢献をした一族の空気のなかで育ったのだった。
大学卒業時は、静岡の県公務員採用試験と東京都の採用試験を受験。どちらも合格し、大学の指導教授のすすめもあり、都の職員になった。

栗田さんが都の職員となったのは、ときあたかも高度経済成長期のまっただなか。そんな時代にあり、行政側も、道路、下水道、河川…とインフラ整備に積極的だった。
栗田さんも「土木」という専門性を武器に、数々の部署に配属され、民間業者と行政の橋渡しとなって、インフラ構築の現場で活躍。土木分野のコンサルタント的な資質を身に付けながら着実にキャリアを積んでいった。
●空手を通して築いた人脈
栗田さんは、学生時代から空手をたしなんでいた。空手を通して礼儀作法、正義感、文武両道の精神、弱者や後輩を思いやる気持ちを養っていった。
空手の世界では、先輩が後輩の面倒をよくみる分、後輩にとって先輩の言うことは絶対。しかも絆は長く続く。栗田さんは空手を通し、仕事とは別の「空手人脈」を築いていった。
加えて、栗田さんの卒業した大学はマンモス校。社会に出ると、どんな業界にも母校のOBがいた。栗田さんの職場も例外ではなく、むしろ他の業界や省庁よりも多いぐらいだった。
空手を通して備わった決断力や行動力、時儀を見極める眼力に加え、母校を主とする空手人脈が、栗田さんにとっては仕事に関する大きな「強み」となった。
こうして「土木」という専門性と「空手」が、栗田さんのキャリア構築の一つのキーポイントになった。
●50歳。岐路に立つ
何年も一つの職場にいると、「先」が見えてくるのが常。都の職員とて例外ではない。どんなに真面目に勤務していようと、トップのポストになれるのはごく少数だ。
栗田さんは土木系の技術職として、建築・土木業者との窓口も多く経験している。
民間業者とコミュニケーションをとる機会が増えるにつれ、いかに自分が「行政」という狭く、しきたりに満ちた世界にいるのかが分かってきた。
民間業者の空気に触れるなかで、自身がいかに社会を知らないか、ということを痛感するようになったのだ。
40代後半になった。
このまま、都の職員として定年まで在籍していれば、家族ともども「老後」の財政基盤は安泰だ。
だが、まだまだ健康にも体力にも自身がある。バリバリ仕事をして現役のままでいたい。日に日にそんな気持ちが募っていく。
50歳になり、「次のステージ」への渇望はさらに強くなった。空手で鍛えた身体と精神、そして仕事の経験値をもってすればこの先も長く、十二分に働ける。今度は新しい、別のステージで、忙しく仕事をして生き生きと毎日を過ごしたい…。
おのずと「次のステージ」は見えてきた。
それは、起業。ただ、それには大きな決断もまた、必要だった。
そこで母親に、公務員を早期退職し、起業したい旨を相談した。すると母親は「どうか辞めないで」。心配でたまらない、とばかりに毎日のように、「役人が会社を興したってうまくいくわけがない」と電話がかかってくる。「毎日祈っている」という。
その願いに素直に従うつもりもないが、かといって割り切れるものでもなかった。
そこで今度は、職場で世話になった大学の先輩に相談してみた。すると、「会社を興すことには大賛成だが、まずは二足のわらじを履いて地ならしをするのがよいだろう」とアドバイスをくれた。会社を作ったとしてもすぐに仕事は来ない、それには別の会社に入って営業職として働くなどして安定的な報酬を得られる状態にしておくのがよいだろうというのだ。
●一国一城の主に!
栗田さんは、自らの会社「都市計技術学株式会社」をおこし、先輩の助言にしたがい、学生時代の

ここには、当初2年の契約で入社したが、営業成績のよさを認められて契約を更新。通算7年間在籍したのちに退職した。
ようやく、本腰を入れて自身の会社の業務に注力するときがきた。
会社の業務内容は都市計画、測量業務、土地区画整理事業、などインフラ整備やまちづくりにかかわる案件の建設・土木分野のコンサルティング。栗田家が、故郷で行ってきたインフラ整備や経済・情報発信の基盤づくりなど、まちづくり、地域づくりにかかわる事業を今、栗田さんは会社を通して行っているのだ。
大手が林立するなかで、これまでの人脈や、公務員時代に備えた業界の知識を基盤に、一つひとつ丁寧に仕事を創り上げていくのが栗田さんのやり方だ。
●空手の指導者として
現在の栗田さんの、もうひとつの顔は、空手の指導者だ。週5日間、都内や居住区の5カ所の道場・練習場で昼夜の決まった時間に指導に当たる。
「弟子」は子どもから社会人まで、老若男女さまざまだ。地元の特別支援学校でも教えている。
とくに子どもたちの指導は「未来を率いる人間を指導している」という喜びと使命感をもって行っているという。
注目すべきは子どもたちに文武両道を説く、その指導方針。言葉がけの中身が、ふるっている。
「カネモチになりたいか!なりたかったら、空手も勉強も一生懸命するんだぞ!」。
いくら野球やサッカーが好きでも大リーグやJリーグで活躍できるスター選手になれるのはごく一部。文武両道でオールマイティをめざすなかで、何か自分の得意も見えてくる。そういうことを、伝えたい。
現実を見据えて自分の人生をしっかり創っていくには体力と知力が必要だ。それを、身を持って知っている栗田さんならではの、言葉だ。
子どもたちはそうした、単なる夢物語でない、現実的な言葉に素直に反応する。「たくさんのお金をもらって、好きなものを買えるようになりたい!そのためにがんばろう」と、シンプルな動機付けになる。
●未来の夢は、南国の島で、悠々自適の生活

この会社の社長は「売上はまず従業員に」という考えの持ち主だそう。空手マンならではの、「後輩」への優しいまなざしが伺える。
将来の夢は「南の島に住んで、悠々自適の生活を送ることなんだ」。場所はもう決めている。観光で一度訪れて気に入ったボルネオ島だ。
自然いっぱいの環境や安くて新鮮な海陸の食材。「移住生活OB」の住まいに招かれ、マンションの高層で夕陽を見ながら味わった食事は忘れられない経験だ。
仕事から離れて第二の人生を過ごすには、栗田さんにとって理想の場所なのだそうだ。
「夢は思い続け、言い続けていればきっと実現する」がモットー。
だから、ことあるごとに「ボルネオに住む」という将来の夢を語っている。
言い続けたことは実現する…もちろんこの言葉は老後の夢に限ったことではない。安定した公務員を辞めての「起業」もそのひとつだった。強く望み、言葉にする。そうして得られたヒントを実践しながら一つひとつステージを上がってきたから、今がある。
72歳とはとても思えない、鍛え挙げられた堂々たる体躯。さまざまな情報から一つの決断を導き出す判断力。
これらは、土木と空手を通して培われた。
その心身をもって、いまなお栗田さんのまなざしは未来に向いている。
<栗田さんの会社> 都市計技術株式会社 http://www.toshikeigijutsu.jp
栗田さんのお仕事5箇条
●人脈づくりは仕事づくり ●後輩の面倒見のよさは、自分に返ってくる ●未来を担う子どもたちに厳しく、優しいまなざしを ●夢は口にし、紙に書くことで実現に近づく ●仕事で張りのある毎日は心身の健康につながる |
- テーマ:なりわいのかたち
- ジャンル:就職・お仕事
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