自由な発想で「tatami」を生活とファッションに
- 2015/07/21
- 23:06
あだちの社長に聴く!


関連サイト http://nariwaijob.com
【経営理念】地域に根ざし畳と過ごす快適生活をサポート
【社名】東和小川畳店
【代表】 小川崇代表
【所在地】〒121-0003 東京都足立区東和3-6-7
【ウェブサイト】http://ogawatatami.com/
tatamiglam www.tatamiglam.com/

●多彩な「発信」で情報と人脈を獲得
SNS、ウェブサイト、ニュースレター、ブログなどあらゆる発信媒体から日々の実践や構想を発信する。それらを見たさまざまな人から貴重な情報や次につながるアイデアを得る。
●地域の「居場所」となる
店を小学生もお年寄りも、安心して立ち寄れる拠点に。地域活動にも積極的に関わり顔の見える「いつもの畳屋さん」として信頼を築く。
●異業種や同業他社と積極的に関わる
地元の異業種交流会や同業他社と交流し、情報交換やスキルアップに勤め常に自身をブラッシュアップする。
●「何か面白いことを!」を考え続ける
漠然としてでも、常に世の中や、若者に新旋風を巻き起こせる「何か」を構想し続ける。するといつか「ピン」と来たものと出合い、形になる。
●「畳」でできる社会貢献を実践
畳屋同士の連携組織に所属し、被災地に畳を届けるプロジェクトに参加。畳を介した社会貢献に取り組む。
【東和小川畳店とは】

2014年には、崇代表がずっと温めてきた、「畳を介した面白いこと」が形となりtatamiglamブランドをスタート。カラフルな縁や、それらを使ったタイやポケットチーフなどを開発し、販売を始めた。
その後tatamiglamはさまざまなメディアに取り上げられ、またイベントに参加するなど、発信の機会が増えるにつれ、認知度が高まった。
現在、崇代表は、畳のあるシーンづくりへの多彩な取組みを、しなやかな姿勢で実践している。
【創業から承継】
崇代表の「仕事としての畳」は父親とともに畳の配達に回っていた小学生5年生ころに始まる。
崇少年は父親が、配達先の家庭で感謝され頼られているのを常に目にしていた。日頃からPTAや地域の活動に積極的に関わっていた父親は、畳職人としても住人としても地域コミュニティにとってなくてはならない存在だった。
そんな父親は誇らしく、「畳屋っていいな」と思う原体験に。小学校の卒業文集では「畳屋になる」と書いた。
高校卒業後は店で修業しながら畳技能者養成学校で学び、畳製作技能士1級を取得。
6歳離れた兄が、継がないことを早くから決めていたこともあり、文集の言葉通り自然な流れで崇氏が承継。2002年、24歳で東和小川畳店の代表となった。



写真左・中央/「tatamiglam」ブランドの、畳の縁を使った蝶ネクタイとポケットチーフ
写真上左/梱包用の箱にも小川代表のこだわり
●tatamiglam誕生〜製品展開
畳職人は器用だ。だから昔から、半端な長さのい草を使った小物を作り、店頭などで販売するようなことは行われていた。ただいかんせん、そうしたアイテムは若者向けのデザインとは限らない。そこで倉敷の業者が販売するカラフルでユニークな縁に注目。流行りの蝶ネクタイやポケットチーフを製作しカラフルな縁とともにtatamiglamのアイテムとして発信している。
<STEP1>畳作りの技をデザインでインスパイア
昔からアパレル志望者や実際に業界で働く人などクリエイター系の友人が多く、彼らから刺激を受けながら、「創る」「生み出す」ことに対し意欲を燃やし続けてきた崇代表。岡山の業者が発信するユニークな縁と出合ったことで、その思いがインスパイア。モダン柄の縁を使った畳敷きや、それらを素材にした蝶ネクタイやポケットチーフの開発へとつながった。
<STEP2>親戚の結婚式で好評を得た蝶ネクタイ
tatamiglamをブランドとして本格スタートさせる前に、自作の蝶ネクタイを試しに親戚の結婚式につけていった。するとそれが好評を得て、ひとつの刺激と自信に。益々高まる創作&発信欲求とともに、2014年2月、tatamiglamブランドを立ち上げた。
<STEP3>初出展の「畳アート作品展」で3位
tatamiglam立ち上げ後の5月、チャンスを得て岡山県で開催された「畳アート作品展」に出展した。他の業者が製品だけを並べているなか、東和小川畳店は、商品紹介パネルやスーツ姿で胸には蝶ネクタイをつけたマネキンを展示したり、ブランド立ち上げの思いを込めたコンセプトカードを設置。そうした取り組みが認められたのか、初出展ながら3位に入賞する。

写真中央/初出展の展示会では
ポケットチーフと蝶ネクタイを身につけたマネキンを展示



3位入賞が効果的な発信となったのか、今度は都心にある大手百貨店の催事場で出店する機会を得る。日頃からその百貨店とつながりを持つ同業他社からの誘いだった。すると次は、同業他社からの紹介により、別の百貨店のイベントにも出店。斬新なアイテムが話題を呼び、足立区東和発のtatamiglamは、都心を中心ににわかに認知度がアップしていった。
写真/百貨店の催事などでも、tatamiglamの存在をアピール


同様に、畳製造の機械を作る会社の呼びかけでJETRO(日本貿易振興機構)が主催する東南アジアでの商談会に参加。すでにい草を使ったスタイリッシュなバッグや財布、タブレット端末カバーなどを発信していた他の畳店とともにタイを訪れた。また、ベトナムでは商品が展示された。この様子はテレビ東京「ガイアの夜明け」で2014年の年末に放映された。映像に小川畳店の店先の看板が映ったことから、問合せが殺到。小川畳店に「ガイアの夜明けフィーバー」が起こる。
写真/テレビに出演後、フィーバーが起こることに!

写真/足立広報にも東和小川畳店が紹介された

2015年2月には、足立区での産業イベント「足立メッセ」に出展。若者向けアイテムの製造・販売を手がける区内企業の社長などは、タイを購入してその場で着用、崇代表とのツーショットを自らのSNS などで発信した。イベントでは、アイテムだけでなく、豊富なビジュアル資料を使い、モダン柄の縁を使った新しい畳空間を提案した。反響は大きく、その後の畳の受注につながった。
写真/足立メッセでの展示。
蝶ネクタイは、イベントに出展した
他社の経営陣にも好評だった


昨今では、同様に畳アイテムを開発する他の畳店とともに、恵比寿クリエイターズマーケットに出店する。若い層が集まる地での出店だけに、新たなファンが増えつつある。
写真/恵比寿クリエイターマーケットでは
若者の感度も刺激しているという手応えが
若者の感度も刺激しているという手応えが

「畳屋」は、一般家庭の居住スペースに足を踏み入れる商売だ。顔の見えること、信頼出来る誠実な人柄であることが大切な要素となる。父親は、自分が子どもの頃から地域活動の中心になって動いていた。そんな父親の姿を胸に焼き付けている崇氏も、「人様の役に立つことを」をモットーに、地域貢献と畳業に取り組む。一方、畳文化の維持・発展を視野に入れた活動にも注力。い草生産農家にステイしての農作業支援は、その一環だ。
写真/出荷前の畳
●国内い草生産農家の保護と活性化を目指して
東和小川畳店の店頭には、くまモンのイラストを配した熊本産い草ののぼり旗がはためく。熊本はい草の産地だ。崇代表は、時折、普段からい草を仕入れているい草農家に1週間ほど滞在して農作業を手伝う。近年、い草の生産農
家は減少気味だ。東京からやってきて農作業を手伝ってくれる若い畳職人の存在はい草農家にとってモチベーションアップにつながると考えての取り組みだ。

写真/農家とのつながり作りのため、
しばしばい草農家にステイして、農作業を手伝う。
●江戸時代には「大奥」にも出入り出来た畳職人
畳替えの作業の際は家庭の奥深くに入り込むことになる。その昔、畳職人は、一町人でありながら江戸城の大奥にさえ入っていくことが出来た。畳職人にとり、お客様との信頼関係を築くことが最優先であることは、昔も今も変わらない。東和小川畳店では、畳替えを頼まれたら、丁寧なヒヤリングを行いその家庭環境に最適な畳敷を提案するところから始める。部屋の用途、家族構成に相応しいものを、画像で見せ、お客様の意向を十分にくみ誠実な対応で相談しながら決めていく。
●気軽に何でも頼める「いつもの畳屋さん」に
「人様のお役に立ちたい」。崇代表は常にそういう心持ちで日々の業務に取り組む。これは地域の人たちに信頼され、愛され続けた父親の姿勢をそのまま受け継いでいるものだ。東和小川畳店は、襖や障子の張り替えや包丁研ぎも行う。気軽にそうした作業を引き受けるのも、「いつもの畳屋さん」として誰もが安心して何かを頼める存在として根付きたいという思いからだ。

店頭には畳をしつらえたベンチを置いている。いつでも近所の人、登下校時の小学生など通りがかった人が気軽に集える場所に…との思いからだ。小学生のなかには「鍵を忘れたからお母さんに電話かけさせて」という子どももいれば、崇代表が畳を打つ様をじっと見ている子どもも。「畳屋さん」は、塾や遊びに行くときの、友達との待合せにも使われている。新入学の時期などは「今度この子も来るからね」と、先輩面をして新入生を連れてくる「常連」もいるそうだ。
写真/店頭に設置されたベンチ
●発信と受信
ネットを活用した情報発信や交流は、崇代表の得意とするところ。地域のイベントに参加したときの様子、手がけた畳の仕事、お客様からのメッセージカードの紹介を、日々ウエブから発信する。発信媒体はFacebookなどのSNS、個人ブログ、ウェブサイトに加え、奥様が主に手がける手づくりのニュースレターなど。特にSNSでは同業者のクローズドなグループに所属し、専門分野に関する情報交換に取り組む。SNSのいいところは、発信にはフィードバックがあることだ。イベント参加情報、新製品の紹介などをすると、イベント情報や広告の方法など次につながる「何か」がアンテナに引っかかることがある。
●畳とともに楽しく暮らす快適空間を
①外国人が注目する「tatami」
近年増加中の外国人旅行者は布団で眠る心地よさを知ると、帰国後、布団を購入するという。しかし板敷きの床の上にじかに敷いた布団に寝ても、日本で体感した心地よさは感じられない。そこで思い起こしてたどり着くのが「畳」。そうして、畳や布団を買い求める外国人ユーザーは近年徐々に増えていっている。


一方、日本の家庭ではフローリングの上にカーペット、寝室にはベッド…と畳の空間が遠ざかりつつある。だからこそ、良い香りがして、触れると心地良い畳の良さをもっと多くの人に知ってもらい身近に楽しく活用を積極的に提案したい。子どもも大人も楽しく明るく過ごせるカラフルな縁、カラフルな縁を使った蝶ネクタイやポケットチーフは、畳はもっと身近に、おしゃれに使えることを伝えるツールとなる。そうした広報展開と崇代表の誠実で丁寧な対応により、モダン縁をはじめとする畳へのニーズは、保育園や幼稚園、子育て中の家庭…と徐々に増えていっている。
写真/畳の縁の色を明るくポップな感じにするだけで部屋の印象が変わる
【社会貢献】
●「5日で畳5000枚の約束」
東和小川畳店は「5日で畳5,000枚の約束」というプロジェクトに参加している。兵庫県の畳業者が立ち上げたプロジェクトで、全国各地で自然災害が起きた際に全国の畳業者が連携して、被災地に5,000枚を届ける活動だ。現在240店舗ほど加盟しており、各社が申告している畳の数を合わせると6,000枚余りになる。なかには地域自治体と地域防災協定を結んでいる加盟社もある。崇代表も、足立区との連携を目指している。
●夏休みの宿題を畳で楽しく
ぶらりと店に遊びに来た子どもたちとは、ときに遊び感覚で畳敷きを使ったコースターや、ミニ畳を作ることがある。正方形の小さな畳敷きに自分の好きな縁を選んでつければオリジナルコースターになる。こうした取り組みは子どもたちが畳に興味を持ってくれるきっかけになり、夏休みの宿題にもぴったりだ。崇代表はさらに「いつかワークショップというかたちで、展開したい」と意欲的だ。

ぶらりと店に遊びに来た子どもたちとは、ときに遊び感覚で畳敷きを使ったコースターや、ミニ畳を作ることがある。正方形の小さな畳敷きに自分の好きな縁を選んでつければオリジナルコースターになる。こうした取り組みは子どもたちが畳に興味を持ってくれるきっかけになり、夏休みの宿題にもぴったりだ。崇代表はさらに「いつかワークショップというかたちで、展開したい」と意欲的だ。
写真/オリジナルコースターと髪飾り
【畳あれこれ】

●畳屋はプロデューサー
畳は、畳表、畳床、縁の3素材から出来ている。それら3素材を別の専門業者から仕入れて畳として作り上げ販売するのが畳店。畳職人は作り手であると同時にプロデューサーでもある。東和小川畳店では、国内産熊本のい草、岡山県倉敷の業者が作る縁を使っている。いずれかの業者が衰退しても畳店、ひいては畳文化は廃れてしまう。崇代表が熊本のい草の農家に「ファームステイ」して作業を手伝うのは、畳の「プロデューサー」として畳文化の維持・発展を図りたいという使命感からでもある。
●麻と木綿の役割、い草の善し悪し
い草を縫い合わせるときに使う糸には、麻と綿がある。麻は丈夫で、強い力を加えても大丈夫なため、きめ細かい上質な畳が出来上がる。一方、綿の糸は強い力を加えると切れてしまうため麻を使った場合に比べ粗めになる。またい草は、長いものほど高級品だ。短いと、その分、端っ子の黄色い部分まで使うため見た目も質も落ちる。

●畳屋はプロデューサー
畳は、畳表、畳床、縁の3素材から出来ている。それら3素材を別の専門業者から仕入れて畳として作り上げ販売するのが畳店。畳職人は作り手であると同時にプロデューサーでもある。東和小川畳店では、国内産熊本のい草、岡山県倉敷の業者が作る縁を使っている。いずれかの業者が衰退しても畳店、ひいては畳文化は廃れてしまう。崇代表が熊本のい草の農家に「ファームステイ」して作業を手伝うのは、畳の「プロデューサー」として畳文化の維持・発展を図りたいという使命感からでもある。
●麻と木綿の役割、い草の善し悪し
い草を縫い合わせるときに使う糸には、麻と綿がある。麻は丈夫で、強い力を加えても大丈夫なため、きめ細かい上質な畳が出来上がる。一方、綿の糸は強い力を加えると切れてしまうため麻を使った場合に比べ粗めになる。またい草は、長いものほど高級品だ。短いと、その分、端っ子の黄色い部分まで使うため見た目も質も落ちる。
写真/クォリティの異なる畳三種。きめの細かさに違いがある
●乱敷き・モダン敷き

【小川崇代表のメッセージ】
可愛い、オシャレ、モダンな柄の畳の縁を使った畳を取り入れてもらうことや、モダン柄の縁を素材にしたファッションアイテムを楽しんでもらうことは、より多くの人に畳の可能性を知ってもらうきっかけになる。
畳は、日本発の優れた伝統文化であり、日本人のライフスタイルに根付いた生活アイテム。これを維持し、より自由に楽しく生活と心を彩る存在にするために「畳屋」が出来ることはまだまだたくさんある。
「いつもの畳屋さん」「近所の居場所」としていつでも立ち寄れる存在となり、畳のある暮らしをしなやかにサポートしていきたい。
可愛い、オシャレ、モダンな柄の畳の縁を使った畳を取り入れてもらうことや、モダン柄の縁を素材にしたファッションアイテムを楽しんでもらうことは、より多くの人に畳の可能性を知ってもらうきっかけになる。
畳は、日本発の優れた伝統文化であり、日本人のライフスタイルに根付いた生活アイテム。これを維持し、より自由に楽しく生活と心を彩る存在にするために「畳屋」が出来ることはまだまだたくさんある。
「いつもの畳屋さん」「近所の居場所」としていつでも立ち寄れる存在となり、畳のある暮らしをしなやかにサポートしていきたい。

写真上/カラフルな畳に可愛らしい縁を合わせる提案も行う
右/Tシャツに畳職人としての誇りをこめて
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【「畳職人小川崇」の歩み】
1)小学生〜中学生
小学5年生ごろには、父親と配達についていくと、お客様からもらえるお菓子や「えらいね」という言葉がうれしかった。
また、畳替えは家のなかの家具を動かすなど重労働。これを行う父親はお客様からいつも感謝されていた。そうした姿を見るにつけ「畳屋という仕事はいいなあ」と思うように。小学校の卒業文集では「畳屋になる」と宣言した。
2)高校卒業〜社会人
父親のもとで1年半ぐらい畳屋としての仕事を経験。ところがそのうち、別の仕事にも興味がわいた。ちょうど、父親ともぎくしゃくし始めていた頃のこと。いったん畳を離れて焼肉店でアルバイトを始め、系列店のお好み焼き屋の店長を務めるほどに。しかし夜型の生活はどうも性に合わない、と半年で辞め、再び畳の道に。
3)畳製作技能士
畳職人として働きながら、夜間開講の東京都畳高等職業訓練校に通学。「畳製作技能士」2級を取得後、国家資格である畳製作技能士1級を取得した。
4)東和小川畳店の2代目に
2002年、父親の体調不良を機に東和小川畳店を承継。2014年2月、ずっと温めてきた構想をtatamiglamブランドとして、立ち上げた。
1)小学生〜中学生
小学5年生ごろには、父親と配達についていくと、お客様からもらえるお菓子や「えらいね」という言葉がうれしかった。
また、畳替えは家のなかの家具を動かすなど重労働。これを行う父親はお客様からいつも感謝されていた。そうした姿を見るにつけ「畳屋という仕事はいいなあ」と思うように。小学校の卒業文集では「畳屋になる」と宣言した。
2)高校卒業〜社会人
父親のもとで1年半ぐらい畳屋としての仕事を経験。ところがそのうち、別の仕事にも興味がわいた。ちょうど、父親ともぎくしゃくし始めていた頃のこと。いったん畳を離れて焼肉店でアルバイトを始め、系列店のお好み焼き屋の店長を務めるほどに。しかし夜型の生活はどうも性に合わない、と半年で辞め、再び畳の道に。
3)畳製作技能士
畳職人として働きながら、夜間開講の東京都畳高等職業訓練校に通学。「畳製作技能士」2級を取得後、国家資格である畳製作技能士1級を取得した。
4)東和小川畳店の2代目に
2002年、父親の体調不良を機に東和小川畳店を承継。2014年2月、ずっと温めてきた構想をtatamiglamブランドとして、立ち上げた。
- テーマ:足立区の社長
- ジャンル:就職・お仕事
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