最高級の革を使い、シンプルで機能的な鞄を
- 2015/09/06
- 11:30
あだちの社長に聴く!


関連サイト http://nariwaijob.com
【経営理念】
1 丁寧な仕事をする。
2 一流の素材を使う。
3 シンプルなデザインを採用する。
【社名】大峽製鞄株式会社
【代表】大峽廣男社長
【所在地】東京都足立区千住4-2-2
【ウェブサイト】http://www.ohbacorp.com/
【大峽社長の5箇条】

社会構造の変化に伴い既存のビジネスモデルに依る事業運営に課題が生じたときは、新たな展開を模索し試行錯誤する。そして活用できる情報に出合ったらチャンスととらえ、活用する。
●最高級の素材を追求
便利で手軽、安いだけの素材は使わない。最高レベルの鞄を製作するために、最高級の素材を厳選する。現在、大峽製鞄で使っているのは、廣男社長自らがヨーロッパの展示会で探し出した世界有数の皮革素材。
●メディアを賢く活用する
納得のいく製品を作ったら、それを広めるため取材記事による発信を活用する。そして、「発信→受信(お客様・他メディア)→別媒体からの発信→新たな受信」という「正のスパイラル」を作り出す。
●「日本の鞄」を世界にアピール
海外の展示会に出展することで自社製品のみでなく「日本の鞄」、さらには「日本のものづくり」の底力を世界にアピールする。
●人材採用は「将来像」を描けているかどうかに着目
独立したいのか、あるいは社長になりたいのか。自身の将来像を明確に描けている、モチベーションの高い人材を採用。採用時は試用期間を設け、互いの相性を確認する。

1935年(昭和10年)に大峽商店として創業。学用品、手提げの学生鞄、ランドセルなどをメインに皮革製品の製造・販売を開始した。
文部大臣賞、経済大臣賞(ともに当時)を連続して受賞するようになったころ、高い品質と技術力を認められ、学習院の指定業者となる。
現社長の廣男氏が他社での勤務を経てが業務に携るようになってから、学用品以外の製品も積極的に手がけるようになった。廣男氏が最初にこだわったのは素材。安く、手間のかからないだけのアジアの輸入皮革を使わず、ヨーロッパにおいて高品質の皮革を探し求めた。そして「ウチで使っている皮は、世界でも最高級のもの」と胸を張る素材に出合った。
大峽製鞄の熟練職人が確かな技術で生み出す鞄は、メディアを活用した広報活動や展示会などを通し、やがて国中はもちろん、ヨーロッパでも広まっていった。
また、問屋を通さない販売網の構築に成功し、現在では、直売ショップやネット注文を通した直売の比率が高まった。その他、北海道から九州までの大手百貨店などで販売している。
【創業から承継】
先代が「ランドセルの大峽」として業界では確固たる地位を築いていた大峽製鞄。
他社勤務を経て大峽製鞄に入社した現・廣男社長は、バブル崩壊やリーマンショックなど経済界の激動を目の当たりにするなかで、次なる発展への模索を開始した。
ランドセル以外の製品を主軸に据え、将来にわたり発展の見込めるビジネスモ

メディア展開においては、デザイナーブランド、郵政省の鞄など新たな販路を獲得して手応えをつかむとともに、「最高品質の鞄を、より多くの人の目に触れてもらい使って頂こう」という、シンプルな目的が功を奏し、一つの記事から、次のメディアへと徐々に正の連鎖をなし大成功した。
製品も、ランドセルなどの学用品の販路は維持しながら、ビジネスバッグやおしゃれ鞄の分野も拡大。
さらに海外の展示会へも出展し、世界的にも徐々に「日本の大峽製鞄」としてその名を知られるようになっていった。
そうしたなか、「自然なかたちで」2003〜2004年ごろから経営のイニシアティブが廣男氏のほうに移り、社長に就任した。
【大峽製鞄発展の軌跡】
先代の故・大峽幹男氏が1935年(昭和10年)「大峽商店」として創業して以来、一流ランドセルメーカーとしての地位を築きつつ、ビジネスバッグやファッ ションバッグが市場で高い評価を得るようになった。そこには、先代のもとに集まった腕のいい職人の技術と、現・廣男社長の、品質と素材選びへのこだわり、 そして時代にマッチしたマーケティング戦略がある。
●ランドセルの大峽製鞄
創業当初は、ランドセルを製造していなかった。現廣男 社長は、サンプルとして作った布と豚革の鞄で登校していたのを覚えているそう。やがてランドセルメーカーの草分けとして頭角を表し、文部大臣賞7回、通産 大臣賞、東京都知事賞、経済産業大臣賞など数々の賞を受賞した。ちなみに受賞に大きく貢献した熟練職人は今も現役だ。なお、文部大臣賞は受賞が続いたため 「一企業への偏り」を懸念した授与側が、異なる賞を…ということでその他の賞を受賞するようになった。
●学習院御用達
数々の賞を 受賞するようになるなかで、その確かな品質が認められ、1990年代初頭に学習院の指定業者となった。以降、慶應義塾幼
稚舎、筑波大付属小学校、早稲田実 業初等部など有名国立・私立校との取引も開始。ちなみに、皇室のお子さんが学習院に入学されたときは、いつにも増して念入りの検品を行ったそう。
●自社製品を適正価格で!
・学用品以外の製品を模索
「オオバのランドセル・学生鞄」は確かに世の中で広い支持を得た。しかし、学用品の欠点は1年に一回しか取引がないことだ。そのため資金繰りには常に銀行から の借入に頼る必要があった。この課題を克服したいと考えた廣男氏は、2000年代初頭にはボウリングブームに乗じてマイボールバッグを手がけたり、一般の 皮革製バッグの製造・販売にも力を入れた。
さらには、問屋を通さない販売ルートを開発しマージンの発生しないビジネスモデルを構築したいとも考えていた。
・超有名デザイナーの仕事をきっかけに
そんなとき、ある有名デザイナーのブランド鞄製造の依頼が舞い込んだ。そのデザイナーは一切妥協しないことで知られる。案の定、提出したサンプルは幾度となく作り直しを指示された。
た だ、廣男社長は「単価の大きな製品を売る一つのチャンス」と捉えていた。当時、鞄は業界の一定水準以上では取引されない通例があった。一方、デザイナーの 仕事では、高品質の製品には適正なる価格をつけることが出来た。結果、製品は高価格で売れ会社にとって大きな飛躍に。ただデザイナーブランドの製品だけに このときは「大峽」の名前が一般に知られることはなかった。
●郵政省の鞄と郵政民営化
デザイナーブランドの鞄を手がけたころ、郵政省の鞄の指定業者になることが出来た。ところがしばらくして、小泉政権による「郵政民営化」が始まる。入札参加資格は持っていたものの、値段の安い中国や韓国の業者が落札し、日本の業者は手を出せないようになった。
さらには、デザイナーズブランドのほうも、間に入っていた業者が業績悪化で廃業してしまった。折しもそのころ銀行では貸し剥がしが始まっていた。「問屋さんにも銀行にも、頼れない。これからはエンドユーザーに直接販売していく時代」。廣男社長の、新たな模索が始まった。
●取材記事を活用した広報戦略
・ワンオーバーナイト

まず取り組んだのが、メディアで紹介してもらうことだった。広告ではなく、記事として取り上げてもらえば費用がかからない。それには前提として、紹介される 価値のある「素晴らしい鞄」を製作する必要がある。幸いにも、大峽製鞄は先代のころから腕のいい職人が集まってきていた。このとき、ある職人の発想と技術 で製作されたのが「ワンオーバーナイト」。1泊の出張用に最適なアタッシェケース型の鞄だ。中に仕切りがあり、機密書類や私用の携帯品が目にふれないよう な構造になっている。内装も北欧の高級革素材を使用している。
ワンオーバーナイトは「世界の一流品図鑑」という雑誌に掲載された。ほどなく、VISAカード会員向けの情報誌にも取り上げられると、北海道から沖縄まで注文が入ってくるようになった。

メディアの威力を実感した大峽社長は、メンズファッション誌などとつながりのあるライターをアドバイザーに据え、メディアを活用してエンドユーザーに広める 戦略をスタート。同時に足立区のすすめでHPを立ち上げた。やがて、2003〜2004年ごろから徐々に経営のイニシアティブが廣男氏のほうに移り、社長 に就任した。
なおこのころつながった、足立本で知られる枻(エイ)出版やMEN’SEX(世界文化社)では、今でもしばしば大峽製鞄の鞄が紹介されている。
写真/大峽製鞄の手がけるさまざまな皮革製品
●世界へ!

・イタリアの展示会で受賞しグローバルブランドに
2010年代には、経済産業省のすすめでブラジルの展示会に出展した。これが世界に羽ばたく大きなきっかけになった。ブラジルの展示会の運営者が、「お前の会社の 製品は、こんなところに出すだけではもったいない」とイタリアの展示会出展の橋渡しとなってくれたのだ。その展示会「MIPEL」は1年に2回イタリアの ミラノで開催されるバッグや靴の見本市。世界中の一流メーカーが集結する。大峽製鞄はこの展示会 への出展のチャンスをつかんだばかりでなく、2012年(平成24年)、2回目の出展でMIPELアワード Style and Innovation部門で入賞した。
左/MIPELで受賞したランドセル型鞄の試作品
中央/MIPELで受賞した際の記念品
右/イタリアの新聞でも大峽製鞄のランドセル型バッグは報道された
注目を集めたのは、ランドル型のビジネスバッグ。東京藝術大学の学生とのコラボレーションで作ったものだ。シンプルながらノート型パソコンが入るマチがほどこしてあるなど機能性は抜群。シンプルでおしゃれなこの鞄は、イタリアで大好評を得た。
・「日本の鞄」を世界にアピール
イタリアの展示会での出展当初、外国の業者の反応は「日本に鞄屋さんなんてあるの!?」というものだった。なかには、日本人はまだちょんまげを結っている… と考えている人もいた。大峽製鞄が展示会で出展し、高い評価を得るようになるにつれ、大峽製鞄のみならず日本の鞄の認知度が高まった。
【事業姿勢】
妥協を許さず、機能性を追求した高品質の製品を淡々と作り続けることが、お客様から愛され、信頼を獲得する唯一の方法。大峽製鞄の事業姿勢からは、そうした確固たる信念が感じられる。この事業姿勢が、世界に羽ばたくチャンスをつかみ、高い評価を得た土台となっている。
●世界でも最高級の素材を使用
1980年代の終わりから1990年代にかけ、日本では3K(きつい・汚い・危険)と言われる職業が敬遠され、皮革製造業者には、若く体力のある人材が集まりにく くなった。一方、韓国ではリーボックのスニーカーがブームになり、皮革の需要が大幅増。しかしいっときのブームが去ると、皮革製品の原材料が大幅に余るよ うになった。そこで人材が不足している日本の業者は、途中まで加工の施してある安い皮革素材を輸入し始めた。しかし、それらの材料は大峽製鞄には納得のい かない品質だった。質のよい皮を使うことで、良い製品が出来る。その信念のもとヨーロッパの展示会を訪ね、素材を探し当てた。一つが、馬具用素材として利 用されるイギリスのブライドルレザー。また日本製の素材ではコードバン(馬の臀部の皮)。その他ドイツ、イタリア、ベルギー、北欧にも品質の高い皮革素材 があるという。「うちで使っている皮は世界で最高品質のもの」と、廣男社長は胸を張る。
●機能性と伝統美
・「デザイン=機能」。使い勝手が最優先
大峽製鞄では、専業のデザイナーをあまり活用しない。廣男社長いわく「デザインというより、使い道や使い勝手。こんなバッグがあると便利だよねという発想か ら生まれる」。多くは、職人さんが試作品を見せてくれるところから始まる。そこから、改良を重ね、製品化されていくのだ。また、他国の業者が、以前は作っ ていたが手間がかかり過ぎて製造を廃止し廃盤になった製品を、もう一度掘り起こすケースもある。
・日本の伝統美をあしらう
イタリアの展示会に出展した際には、加賀友禅をあしらった鞄を製作した。これは、大峽製鞄で外国とのやり取りの際の翻訳・通訳を担っている外国人スタッフのアドバイスをもとに開発したもの。狙いは的中し、大人気をはくした。
●1週間に1回の営業会議
学校専門の営業責任者、百貨店専門の営業責任者、売上げ管理責任者など、各部署の責任者が1週間に一度集まり営業会議が開かれる。大峽製鞄はいわゆるワンマ ン経営ではない。会議では各部署の状況を報告し、課題があれば意見を出し合って、会社の方針としてどうやっていくかを一つひとつその場で決めていく。営業 会議の開催日は年間で日程が決まっており、基本的には全員出席する。
【人材活用】
現在大峽製鞄の社員は35人。少数精鋭をめざ し、人材採用は慎重に行う。将来像が明確であることと、素直に人の話を聞けるかどうかは大きな着眼ポイント。もちろん、鞄作りの技術に関する見方は厳し い。一流品を目指して本気で取り組む姿勢を求めるのはもちろんのこと、「料理人と同様、センスがない人は何十年修業しても上達しない」と言い切る。
●一緒に働いたうえで採用の可否を決定
応募者には、まず履歴書は手書きを指示する。面接に進んだ応募者には日当を支払って1週間から10日、実際に勤務してもらったうえで、本採用か否かを決定する。
「目標もなく、なんとなく応募してくる人は、当社には合わない。それは、一緒に働いてみれば分かること」と廣男社長。
●意欲の高い人材が「ぜひ大峽製鞄へ」
最近では、イタリアで鞄づくりの学校に通い、イタリアのメーカーに勤めていたという、意欲の高い人材が「ぜひ大峽製鞄で働きたい」と入社した。また新卒では、2年続けて高卒の人材を採用した。うち一人は、「将来は工場長に!」と、なみなみならぬ意欲を見せているという。
【地域と社会への貢献】
●生活保護世帯にランドセル
先代が東京足立鞄工業会の会長をしていたときは、足立区内の生活保護世帯にランドセルを差し上げる取り組みをしており、20年あまりの間で、延べ上代ベースで1億円ほどになった。近年では、区の方針で取りやめになっている。
●サンプルセール
毎年、足立区内で小学校に上がるお子さんのいる家庭対象にランドセルのサンプルセールを行っている。サンプルなので、そのときにあるものだけ。品物は、本格 皮製やクラリーノ製があり、5,000円から購入できる。すでに2015年は丸井シアター1010で実施した。たくさんの方が訪れ、時間がオーバーするほ どだったという。
なお、現在、来年4月の新入生用のランドセルが、80〜90%が予約でうまっているそうだ。
【次代を担う若い方々へ】
「将来、自分がどうなりたいかを決め、それに向かって今日からどう踏み出すかを真剣に考えて欲しいですね。手づくりするのが好きなだけなら趣味の世界です。当 社はものづくりを事業として行っています。もしものづくりが好きなら、自分で学校に行くなり職人さんのもとで修業するぐらいの覚悟を。実際に今自分が取り 組んでいることと、将来の目標がちぐはぐではないか、冷静に見直すことも大切だと思います」(大峽廣男社長)
先代の故・大峽幹男氏が1935年(昭和10年)「大峽商店」として創業して以来、一流ランドセルメーカーとしての地位を築きつつ、ビジネスバッグやファッ ションバッグが市場で高い評価を得るようになった。そこには、先代のもとに集まった腕のいい職人の技術と、現・廣男社長の、品質と素材選びへのこだわり、 そして時代にマッチしたマーケティング戦略がある。
●ランドセルの大峽製鞄
創業当初は、ランドセルを製造していなかった。現廣男 社長は、サンプルとして作った布と豚革の鞄で登校していたのを覚えているそう。やがてランドセルメーカーの草分けとして頭角を表し、文部大臣賞7回、通産 大臣賞、東京都知事賞、経済産業大臣賞など数々の賞を受賞した。ちなみに受賞に大きく貢献した熟練職人は今も現役だ。なお、文部大臣賞は受賞が続いたため 「一企業への偏り」を懸念した授与側が、異なる賞を…ということでその他の賞を受賞するようになった。
●学習院御用達
数々の賞を 受賞するようになるなかで、その確かな品質が認められ、1990年代初頭に学習院の指定業者となった。以降、慶應義塾幼

●自社製品を適正価格で!
・学用品以外の製品を模索
「オオバのランドセル・学生鞄」は確かに世の中で広い支持を得た。しかし、学用品の欠点は1年に一回しか取引がないことだ。そのため資金繰りには常に銀行から の借入に頼る必要があった。この課題を克服したいと考えた廣男氏は、2000年代初頭にはボウリングブームに乗じてマイボールバッグを手がけたり、一般の 皮革製バッグの製造・販売にも力を入れた。
さらには、問屋を通さない販売ルートを開発しマージンの発生しないビジネスモデルを構築したいとも考えていた。
・超有名デザイナーの仕事をきっかけに
そんなとき、ある有名デザイナーのブランド鞄製造の依頼が舞い込んだ。そのデザイナーは一切妥協しないことで知られる。案の定、提出したサンプルは幾度となく作り直しを指示された。
た だ、廣男社長は「単価の大きな製品を売る一つのチャンス」と捉えていた。当時、鞄は業界の一定水準以上では取引されない通例があった。一方、デザイナーの 仕事では、高品質の製品には適正なる価格をつけることが出来た。結果、製品は高価格で売れ会社にとって大きな飛躍に。ただデザイナーブランドの製品だけに このときは「大峽」の名前が一般に知られることはなかった。
写真/大峽製鞄のショールーム「トゥデイ」店内。
取材時はランドセルをメインに展示販売中
●郵政省の鞄と郵政民営化
デザイナーブランドの鞄を手がけたころ、郵政省の鞄の指定業者になることが出来た。ところがしばらくして、小泉政権による「郵政民営化」が始まる。入札参加資格は持っていたものの、値段の安い中国や韓国の業者が落札し、日本の業者は手を出せないようになった。
さらには、デザイナーズブランドのほうも、間に入っていた業者が業績悪化で廃業してしまった。折しもそのころ銀行では貸し剥がしが始まっていた。「問屋さんにも銀行にも、頼れない。これからはエンドユーザーに直接販売していく時代」。廣男社長の、新たな模索が始まった。
●取材記事を活用した広報戦略
・ワンオーバーナイト


ワンオーバーナイトは「世界の一流品図鑑」という雑誌に掲載された。ほどなく、VISAカード会員向けの情報誌にも取り上げられると、北海道から沖縄まで注文が入ってくるようになった。
写真/ワンオーバーナイト
・ライターをアドバイザーに

なおこのころつながった、足立本で知られる枻(エイ)出版やMEN’SEX(世界文化社)では、今でもしばしば大峽製鞄の鞄が紹介されている。
写真/大峽製鞄の手がけるさまざまな皮革製品
●世界へ!



2010年代には、経済産業省のすすめでブラジルの展示会に出展した。これが世界に羽ばたく大きなきっかけになった。ブラジルの展示会の運営者が、「お前の会社の 製品は、こんなところに出すだけではもったいない」とイタリアの展示会出展の橋渡しとなってくれたのだ。その展示会「MIPEL」は1年に2回イタリアの ミラノで開催されるバッグや靴の見本市。世界中の一流メーカーが集結する。大峽製鞄はこの展示会 への出展のチャンスをつかんだばかりでなく、2012年(平成24年)、2回目の出展でMIPELアワード Style and Innovation部門で入賞した。
左/MIPELで受賞したランドセル型鞄の試作品
中央/MIPELで受賞した際の記念品
右/イタリアの新聞でも大峽製鞄のランドセル型バッグは報道された
注目を集めたのは、ランドル型のビジネスバッグ。東京藝術大学の学生とのコラボレーションで作ったものだ。シンプルながらノート型パソコンが入るマチがほどこしてあるなど機能性は抜群。シンプルでおしゃれなこの鞄は、イタリアで大好評を得た。
・「日本の鞄」を世界にアピール
イタリアの展示会での出展当初、外国の業者の反応は「日本に鞄屋さんなんてあるの!?」というものだった。なかには、日本人はまだちょんまげを結っている… と考えている人もいた。大峽製鞄が展示会で出展し、高い評価を得るようになるにつれ、大峽製鞄のみならず日本の鞄の認知度が高まった。
【事業姿勢】
妥協を許さず、機能性を追求した高品質の製品を淡々と作り続けることが、お客様から愛され、信頼を獲得する唯一の方法。大峽製鞄の事業姿勢からは、そうした確固たる信念が感じられる。この事業姿勢が、世界に羽ばたくチャンスをつかみ、高い評価を得た土台となっている。
●世界でも最高級の素材を使用
1980年代の終わりから1990年代にかけ、日本では3K(きつい・汚い・危険)と言われる職業が敬遠され、皮革製造業者には、若く体力のある人材が集まりにく くなった。一方、韓国ではリーボックのスニーカーがブームになり、皮革の需要が大幅増。しかしいっときのブームが去ると、皮革製品の原材料が大幅に余るよ うになった。そこで人材が不足している日本の業者は、途中まで加工の施してある安い皮革素材を輸入し始めた。しかし、それらの材料は大峽製鞄には納得のい かない品質だった。質のよい皮を使うことで、良い製品が出来る。その信念のもとヨーロッパの展示会を訪ね、素材を探し当てた。一つが、馬具用素材として利 用されるイギリスのブライドルレザー。また日本製の素材ではコードバン(馬の臀部の皮)。その他ドイツ、イタリア、ベルギー、北欧にも品質の高い皮革素材 があるという。「うちで使っている皮は世界で最高品質のもの」と、廣男社長は胸を張る。
●機能性と伝統美
・「デザイン=機能」。使い勝手が最優先
大峽製鞄では、専業のデザイナーをあまり活用しない。廣男社長いわく「デザインというより、使い道や使い勝手。こんなバッグがあると便利だよねという発想か ら生まれる」。多くは、職人さんが試作品を見せてくれるところから始まる。そこから、改良を重ね、製品化されていくのだ。また、他国の業者が、以前は作っ ていたが手間がかかり過ぎて製造を廃止し廃盤になった製品を、もう一度掘り起こすケースもある。

イタリアの展示会に出展した際には、加賀友禅をあしらった鞄を製作した。これは、大峽製鞄で外国とのやり取りの際の翻訳・通訳を担っている外国人スタッフのアドバイスをもとに開発したもの。狙いは的中し、大人気をはくした。
●1週間に1回の営業会議
学校専門の営業責任者、百貨店専門の営業責任者、売上げ管理責任者など、各部署の責任者が1週間に一度集まり営業会議が開かれる。大峽製鞄はいわゆるワンマ ン経営ではない。会議では各部署の状況を報告し、課題があれば意見を出し合って、会社の方針としてどうやっていくかを一つひとつその場で決めていく。営業 会議の開催日は年間で日程が決まっており、基本的には全員出席する。
写真/加賀友禅をあしらった鞄
【人材活用】
現在大峽製鞄の社員は35人。少数精鋭をめざ し、人材採用は慎重に行う。将来像が明確であることと、素直に人の話を聞けるかどうかは大きな着眼ポイント。もちろん、鞄作りの技術に関する見方は厳し い。一流品を目指して本気で取り組む姿勢を求めるのはもちろんのこと、「料理人と同様、センスがない人は何十年修業しても上達しない」と言い切る。
●一緒に働いたうえで採用の可否を決定
応募者には、まず履歴書は手書きを指示する。面接に進んだ応募者には日当を支払って1週間から10日、実際に勤務してもらったうえで、本採用か否かを決定する。
「目標もなく、なんとなく応募してくる人は、当社には合わない。それは、一緒に働いてみれば分かること」と廣男社長。
●意欲の高い人材が「ぜひ大峽製鞄へ」
最近では、イタリアで鞄づくりの学校に通い、イタリアのメーカーに勤めていたという、意欲の高い人材が「ぜひ大峽製鞄で働きたい」と入社した。また新卒では、2年続けて高卒の人材を採用した。うち一人は、「将来は工場長に!」と、なみなみならぬ意欲を見せているという。
【地域と社会への貢献】
●生活保護世帯にランドセル
先代が東京足立鞄工業会の会長をしていたときは、足立区内の生活保護世帯にランドセルを差し上げる取り組みをしており、20年あまりの間で、延べ上代ベースで1億円ほどになった。近年では、区の方針で取りやめになっている。
●サンプルセール
毎年、足立区内で小学校に上がるお子さんのいる家庭対象にランドセルのサンプルセールを行っている。サンプルなので、そのときにあるものだけ。品物は、本格 皮製やクラリーノ製があり、5,000円から購入できる。すでに2015年は丸井シアター1010で実施した。たくさんの方が訪れ、時間がオーバーするほ どだったという。
なお、現在、来年4月の新入生用のランドセルが、80〜90%が予約でうまっているそうだ。
【次代を担う若い方々へ】
「将来、自分がどうなりたいかを決め、それに向かって今日からどう踏み出すかを真剣に考えて欲しいですね。手づくりするのが好きなだけなら趣味の世界です。当 社はものづくりを事業として行っています。もしものづくりが好きなら、自分で学校に行くなり職人さんのもとで修業するぐらいの覚悟を。実際に今自分が取り 組んでいることと、将来の目標がちぐはぐではないか、冷静に見直すことも大切だと思います」(大峽廣男社長)
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