人のチカラを引き出して、地域で協働できる場をつくり 「人・モノ・スキルの地産地消」を!
- 2021/10/21
- 17:02

なりわいのかたち
<まちづくり・ひとづくり>
<まちづくり・ひとづくり>
私たちが暮らすまちの活性化につながる仕事に携る方々をご紹介します。
イベント企画やコミュニティスペース提供を通して地域づくり、人と人のつながりづくりを行い、まちづくりを多面的に支える仕事があります。
コワーキング・イベントスペース「タイニーボート」
クレイドル株式会社
https://tinyboat.crdl.co.jp/
竹越 茜さん北海道で販売員の仕事をしているころから、資産運用や女性起業家の本を読んでいた。組織で働くことは向かないかもしれない…いつしか心は、情報も技術も最新のものに触れられる東京に向いた。時代に乗り遅れまいと、上京後に始めたパソコンはいつしか面白さにはまった。キャリアチェンジしてIT系の会社へ。順調にITエンジニアとしてのキャリアが積み上がっているとき、生まれた子どもに医療ケアが必要なことがわかり、キャリアの再構築が必要になった。これがきっかけとなり「自分と同じような境遇にある人の役に立つ協働の場」作りに取り組み始める。
3人兄妹のなかでも、クラスでも「ちょっと変わった子」だった。集団行動が苦手。授業も関心のないことだと、思考が彷徨い始めてしまう。一方「世の中のことを全部知りたい!」という強い欲求があった。大人になって知ったインターネットは「知りたいことがなんでもわかる」道具だった。さらにその道具をビジネスにも活用した。そして、これからは、ネットワーキング、IT、マイプレイス&マイペースの時代になると確信。確信はネットとPCを活用した、共同利用型の仕事環境=コワーキングスペースづくりへとつながっていく。 |
●「販売員で終わらない!」情報とスキルの最先端・東京へ
高校を卒業したのち販売員の仕事をしていたころ、昼休みに読んでいたのは、資産運用や起業、なかでも女性起業家の成功事例などの本だった。地方では何かをするにしても、規模も範囲も小さい。それにくらべて東京は情報もビジネスも、質量ともに圧倒的だ。「東京で働く」。そう決めるのに時間はかからなかった。上京して
初めてついたのは、販売員としての経験を生かしたデパガの仕事だった。
販売の仕事は、アナログな世界だ。一方で、これから世界の中枢をになっていくのはIT、という空気も感じ始めていた。
そこでまずはPCを購入。「できないと、時代に置いていかれる」という危機感からだった。使い始めてみると「なにこれ面白いじゃん!」。子どものころからの「世界中の情報を全部知りたい!」という欲求が、インターネットの世界なら叶うことを知った。
インターネットはビジネスでも活用した。手始めにやってみたのがオークションサイトでの古着販売だ。有名メーカーの古着ジーンズを仕入れて製造元で直してもらってから販売するというスタイルだった。
ライブで知り合って意気投合し、結婚した夫はニッチなニーズへのアプローチが得意だった。「けっこ売れたんですよ」。
●システムエンジニアに
ネットの個人ビジネスの成功によって、仕事も生活もさらに広がるインターネットの可能性を実感した。
それなら本業のほうもITで、と考えたのは自然の流れだった。
最初についた仕事は、システムのインストラクター。営業担当とともにお客様のところでシステムのデモンストレーションをする業務だ。面接でアピールした、販売員としての接客スキルも認められたようだ。
PCスキルのほうはOJTで、といわれた。ところが「入社1日目は、パソコンの立ち上げ方がわからなくて」。ノートPCを使っていたため、ディスクトップ型の電源スイッチがどこかわからなかったのだ。
それでも、もともとパソコンを使うのは好きで、吸収力もある。みるみる会社にとってなくてはならない存在になった。
やがて長女を出産した。長女は難病をかかえており、医療ケアが必要なことがわかった。
そこで出張が頻繁にあった正社員としての働き方を辞め、派遣社員へと転じた。
仕事は、契約先に常駐するヘルプデスクだった。ここでは社内システムのスキルが身についた。
派遣社員として働いているときに、次女を身ごもった。勤務先の上長は「待っているから、また戻ってきたら」と言ってくれた。派遣社員としては異例の、産休を取得することができた。
長女に、しばらくは大きな手術が必要がなくなったタイミングで正社員になった。派遣社員ながらコンスタントに正確に業務をこなす姿勢が認められたのだ。通院の付き添いは、個人事業を営んでいた夫が担ってくれた。
●子どものつきそいはママが。
長女が手術を受ける時期がきた。入院中は、昼間夫がつきそい、夜は竹越さんが泊まり込み、朝は病院から出勤した。
「それはとても恵まれているということを知りました」
大部屋の病室ではいろいろな家族、とくに母親と接する機会があった。なかには働きながら子どものケアをする母親もいた。

ひとり親で、近くに両親も住んでいない人は、大変だろうなあ。仕事をしていたら、長期で休めるとも限らないし、休んだら収入も減ってしまう。なんとかできないのかしら。
私はありがたいことに、夫と協力してできるからいい。ただ、自分だっていつか同じような状況になるかもしれない…。
考えていくうちに、子どものケアと仕事を安心して両立できる仕組みを作りたいという強い思いがわき上がった。
●地元密着のコワーキングスペースを
世の中ではあまり認知されていないが、子育てのために離職をした女性、家族の介護で家を離れられない人は多い。スキルも経験もあるのに、オフィスで働くのは難しい、という課題を持つ人は、子どもの看護をする母親以外にもたくさんいるだろうと考えた。
そういう人たちは、会社で時間の拘束がある働き方は難しい。しかしスキルと経験があればほかのスタイルで仕事はできる。なにより経験値は社会に還元してこそのものだ。
そうだ、潜在する力を発揮できる場所、ワークプレイスであり情報交換や相乗効果で何かを作り出せる場所を作ろう!
そこで竹越さんは2015年、一軒家を建てまるごとコワーキングスペースにした。
場所は、千代田線の北綾瀬駅から徒歩15分の場所だ。決して交通至便というわけではない。
都心の駅チカのコワーキングスペースはいくらでもある。電車に乗ってわざわざ行くのではなく、地域を基盤に、地域の人材力で地域を盛り上げたいと考えたのだ。
その思いを表すのがタイニーボートが掲げる「人、モノ、スキルの地産地消」というメッセージ。タイニーボートに集う人同士が対等に連携し、情報交換をしながら、地元や足立区、東京から日本、そして世界を舞台にした社会経済の活性化に繋げていこうという思いが込められている。
もうひとつ、タイニーボートが特に大切にしているのが「家族」という視点だ。「地域で、子育てや介護をしながら、家族との距離が近い環境で仕事ができる場所」であることが大きな特徴だ。長女が難病をかかえていたことで、キャリアの再構築が必要となった、自らの経験が背景にある。
どこにいてもアクセスできる、SNSなどのインターネットは、家族を大切にした働き方を可能にするツールの一つだ。
ITが苦手という人には、ITに詳しい竹越さんがサポートしてくれる。ITが活用できれば継続できる仕事は多い。それどころか、仕事の幅が広がる可能性も大きい。
なにより、家族の状況によって、仕事を諦めたり収入の道が途絶えたり、社会とつながることが難しい状況にある人の負担を少しでも軽減できる。
さらには、一人ひとりの潜在力が、ITや人との連携によってブラッシュアップされ、ビジネスにつながれば、社会に還元できるようになっていく。
●次代の生き方・働き方を考えるすべての方に
これまでは、ライフステージに応じて働き方を考えなければならないのはほとんどが女性だった。
今は一つの会社で定年まで勤められるかどうか、わからない時代だ。終身雇用はもはや過去の話と言われる。入社すれば一生安泰のはずだった大企業だって、いつまで続くかわからない。非正規職員の割合も増えている。
いかに生き、どう働くかは個人に委ねられているといえる。
これからは、女性に限らず、組織に所属している人も個人事業やサイドビジネスなど、3つ、4つの顔を持つことが、世の中を生き抜くためのリスクヘッジにもなるだろう。
現在タイニーボートは、仕事場としてはもちろん、さまざまなイベントや交流の場としても活用されている。フリーランスのランチ会、プログラミング教室、ボードゲーム交流、起業家交流会。集う人たちが相互に交流するなかで、新たな取り組みがスタートすることもある。地域のビジネスマンやフリーランスに限らず、会社員など組織に所属する社会人たちのサードプレイスとして、また新たな仕事を模索する人のためのヒントが見つかる場にもなっている。
竹越さんは言う。「会社員として働いているのなら、それを続けながら別のことをやってみることを提案します。”別のこと”は仕事以外の市民活動でもいいと思います」。
今の働き方を全部捨てて開業というのはリスクが大きい。まずは自分の幅を広げること。何か手応えがあったら、次のチャレンジにつながるかもしれない。違和感をおぼえたら、別のチャレンジをすればいい。
「できることから少しずつ、時間をかけ、一人ひとりのライフキャリアを作っていけばいいと思います。そのためにタイニーボートは協力を惜しみません」
竹越さんのお仕事3箇条
コワーキング・イベントスペース タイニーボート

クレイドル株式会社
高校を卒業したのち販売員の仕事をしていたころ、昼休みに読んでいたのは、資産運用や起業、なかでも女性起業家の成功事例などの本だった。地方では何かをするにしても、規模も範囲も小さい。それにくらべて東京は情報もビジネスも、質量ともに圧倒的だ。「東京で働く」。そう決めるのに時間はかからなかった。上京して

販売の仕事は、アナログな世界だ。一方で、これから世界の中枢をになっていくのはIT、という空気も感じ始めていた。
そこでまずはPCを購入。「できないと、時代に置いていかれる」という危機感からだった。使い始めてみると「なにこれ面白いじゃん!」。子どものころからの「世界中の情報を全部知りたい!」という欲求が、インターネットの世界なら叶うことを知った。
インターネットはビジネスでも活用した。手始めにやってみたのがオークションサイトでの古着販売だ。有名メーカーの古着ジーンズを仕入れて製造元で直してもらってから販売するというスタイルだった。
ライブで知り合って意気投合し、結婚した夫はニッチなニーズへのアプローチが得意だった。「けっこ売れたんですよ」。
●システムエンジニアに
ネットの個人ビジネスの成功によって、仕事も生活もさらに広がるインターネットの可能性を実感した。
それなら本業のほうもITで、と考えたのは自然の流れだった。
最初についた仕事は、システムのインストラクター。営業担当とともにお客様のところでシステムのデモンストレーションをする業務だ。面接でアピールした、販売員としての接客スキルも認められたようだ。
PCスキルのほうはOJTで、といわれた。ところが「入社1日目は、パソコンの立ち上げ方がわからなくて」。ノートPCを使っていたため、ディスクトップ型の電源スイッチがどこかわからなかったのだ。
それでも、もともとパソコンを使うのは好きで、吸収力もある。みるみる会社にとってなくてはならない存在になった。
やがて長女を出産した。長女は難病をかかえており、医療ケアが必要なことがわかった。
そこで出張が頻繁にあった正社員としての働き方を辞め、派遣社員へと転じた。
仕事は、契約先に常駐するヘルプデスクだった。ここでは社内システムのスキルが身についた。
派遣社員として働いているときに、次女を身ごもった。勤務先の上長は「待っているから、また戻ってきたら」と言ってくれた。派遣社員としては異例の、産休を取得することができた。
長女に、しばらくは大きな手術が必要がなくなったタイミングで正社員になった。派遣社員ながらコンスタントに正確に業務をこなす姿勢が認められたのだ。通院の付き添いは、個人事業を営んでいた夫が担ってくれた。
●子どものつきそいはママが。
長女が手術を受ける時期がきた。入院中は、昼間夫がつきそい、夜は竹越さんが泊まり込み、朝は病院から出勤した。
「それはとても恵まれているということを知りました」
大部屋の病室ではいろいろな家族、とくに母親と接する機会があった。なかには働きながら子どものケアをする母親もいた。

ひとり親で、近くに両親も住んでいない人は、大変だろうなあ。仕事をしていたら、長期で休めるとも限らないし、休んだら収入も減ってしまう。なんとかできないのかしら。
私はありがたいことに、夫と協力してできるからいい。ただ、自分だっていつか同じような状況になるかもしれない…。
考えていくうちに、子どものケアと仕事を安心して両立できる仕組みを作りたいという強い思いがわき上がった。
●地元密着のコワーキングスペースを
世の中ではあまり認知されていないが、子育てのために離職をした女性、家族の介護で家を離れられない人は多い。スキルも経験もあるのに、オフィスで働くのは難しい、という課題を持つ人は、子どもの看護をする母親以外にもたくさんいるだろうと考えた。
そういう人たちは、会社で時間の拘束がある働き方は難しい。しかしスキルと経験があればほかのスタイルで仕事はできる。なにより経験値は社会に還元してこそのものだ。
そうだ、潜在する力を発揮できる場所、ワークプレイスであり情報交換や相乗効果で何かを作り出せる場所を作ろう!
そこで竹越さんは2015年、一軒家を建てまるごとコワーキングスペースにした。
場所は、千代田線の北綾瀬駅から徒歩15分の場所だ。決して交通至便というわけではない。
都心の駅チカのコワーキングスペースはいくらでもある。電車に乗ってわざわざ行くのではなく、地域を基盤に、地域の人材力で地域を盛り上げたいと考えたのだ。
その思いを表すのがタイニーボートが掲げる「人、モノ、スキルの地産地消」というメッセージ。タイニーボートに集う人同士が対等に連携し、情報交換をしながら、地元や足立区、東京から日本、そして世界を舞台にした社会経済の活性化に繋げていこうという思いが込められている。
もうひとつ、タイニーボートが特に大切にしているのが「家族」という視点だ。「地域で、子育てや介護をしながら、家族との距離が近い環境で仕事ができる場所」であることが大きな特徴だ。長女が難病をかかえていたことで、キャリアの再構築が必要となった、自らの経験が背景にある。
どこにいてもアクセスできる、SNSなどのインターネットは、家族を大切にした働き方を可能にするツールの一つだ。
ITが苦手という人には、ITに詳しい竹越さんがサポートしてくれる。ITが活用できれば継続できる仕事は多い。それどころか、仕事の幅が広がる可能性も大きい。
なにより、家族の状況によって、仕事を諦めたり収入の道が途絶えたり、社会とつながることが難しい状況にある人の負担を少しでも軽減できる。
さらには、一人ひとりの潜在力が、ITや人との連携によってブラッシュアップされ、ビジネスにつながれば、社会に還元できるようになっていく。
●次代の生き方・働き方を考えるすべての方に
これまでは、ライフステージに応じて働き方を考えなければならないのはほとんどが女性だった。
今は一つの会社で定年まで勤められるかどうか、わからない時代だ。終身雇用はもはや過去の話と言われる。入社すれば一生安泰のはずだった大企業だって、いつまで続くかわからない。非正規職員の割合も増えている。
いかに生き、どう働くかは個人に委ねられているといえる。
これからは、女性に限らず、組織に所属している人も個人事業やサイドビジネスなど、3つ、4つの顔を持つことが、世の中を生き抜くためのリスクヘッジにもなるだろう。
現在タイニーボートは、仕事場としてはもちろん、さまざまなイベントや交流の場としても活用されている。フリーランスのランチ会、プログラミング教室、ボードゲーム交流、起業家交流会。集う人たちが相互に交流するなかで、新たな取り組みがスタートすることもある。地域のビジネスマンやフリーランスに限らず、会社員など組織に所属する社会人たちのサードプレイスとして、また新たな仕事を模索する人のためのヒントが見つかる場にもなっている。
竹越さんは言う。「会社員として働いているのなら、それを続けながら別のことをやってみることを提案します。”別のこと”は仕事以外の市民活動でもいいと思います」。
今の働き方を全部捨てて開業というのはリスクが大きい。まずは自分の幅を広げること。何か手応えがあったら、次のチャレンジにつながるかもしれない。違和感をおぼえたら、別のチャレンジをすればいい。
「できることから少しずつ、時間をかけ、一人ひとりのライフキャリアを作っていけばいいと思います。そのためにタイニーボートは協力を惜しみません」
竹越さんのお仕事3箇条
●「危機感」もチャレンジへのトリガーにする ●小さなことから試し成功体験を次につなげる ●地域と家族を大切にしたライフキャリアをつくる |
コワーキング・イベントスペース タイニーボート

クレイドル株式会社
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