人と人のつながり、地域のワクワクをつくる「たこ焼き長尾」
- 2019/05/11
- 22:41

<フードサービス>
食を通して、人の心と体を元気にする方達を紹介します。
美味しさと楽しさを追求していくと
人と人がつながり、地域のワクワクが生まれます。
おばあちゃんとの思い出が原点。
美味しさをとことん追求し
人と人のつながり、地域のワクワクをつくる「たこ焼き長尾」

青砥「たこ焼き長尾」
長尾誠司さん
【なりわいのすじみち】
高校を卒業した後、輸入車の販売、引っ越し作業、アメ横での貴金属販売、と、職を替えるなかで、模索の日々を過ごした。その後、宅配便のドライバーとして働きながら「いつかの何か」のために資金を貯める。景気や流行に大きく左右されずどんなときにも必要とされる、普遍的な商材とはなんだろう…そう考えたとき浮かんだのが「食」だった。食は心と体の元気の源であり、人と人をつなぐ役割を果たす。その思いは、祖母との思い出にさかのぼる。
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東京都千駄木で生まれ育った。小学校6年生のときに父親が他界。三男の長尾さんを含む3人の男の子を母親が働きながら育てた。末っ子の長尾さんが、しばしば放課後過ごすのは、近くに住むおばあちゃんの家だった。一番の思い出は、縁日のたこ焼き。お小遣いとして500円札を渡されてたこ焼きを一つ買ったら残りはお小遣いになった。持ち帰ると、おばっちゃんが心底うれしそうに「ありがとう」と言ってくれた。心に刻まれた、温かい記憶が、たこ焼き長尾の原点だ。
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●自分探し
高校を卒業してからすぐについたのは、輸入車の販売の仕事だった。車が好きだったのが一番の理由だ。世の中はバブル経済の真っ只中。販売担当として、電話一本のトークだけで1台800万円台の高級車を1カ月で3台売った。
1年ほど務めた後、運転が好きだったこともあり引っ越し業者へ。2年ほど働いた。
仕事は全力投球で頑張ったが、どこか煮え切らない思いを抱えていた。自分に本当に向いている仕事はなんだろう。「これだ!」とやりがいを覚える仕事はなんだろう。
答えが出せないなか、同級生に誘われるままアメ横で貴金属を販売する仕事についた。
バブルが弾け、世の中の景気は急激に冷え込んでいた。外車販売のときと異なり、さっぱり売れなかった。
この仕事では一つには、「販売」のコツが身についた。機械的に売れるものではない、商品知識があるから売れるものでもない。路上販売はライブな感覚が大切だ。声をかけるタイミングや、その場のお客様の反応、トークの間の取り方で売れるか売れないかが大きく左右される。
一緒に販売に立っていた、リーダー各の同級生はたくみな話術で売っていた。端数が出たらおまけをしてとにかくさばけばよいだろう、という自分の考えとは逆なだけに、学ぶところも多かった。
従業員が、意識を一つにすることが何より大切であることも知ったのも、この時期だった。
ときに経営者は、外部との交渉やネットワークづくりで従業員とのコミュニケーションが十分にできないことがある。それが誤解につながり亀裂に発展することもある。
長尾さんが働いていた貴金属店も、前の日に営業接待などで飲んでいた経営者が朝遅く出勤してくることがあった。
当時はカチンときたが、今になれば、経営者のすべきことと従業員の仕事は違うということが身にしみてわかる。
●宅配ドライバーとして15年間
アクセサリー販売の後は、宅配ドライバーになった。固定給のほか、宅配の荷物を自身のアイディーでどれだけ扱ったかという成果報酬も収入の多くを占める給与体系だった。
同じ会社の従業員が、ときにライバル同士にもなる個人事業主の世界だ。
中には、売り上げをあげるために伝票にちょっとした小細工をしたり、お得意様と癒着して得た利益を自分の収入にしてしまう従業員もいた。
そんな彼らを横目に、長尾さんはとことん正義を貫いた。
大切にしたのは、お客様の依頼にいつでも誠実に応えること。困りごとがあれば相談にのること。たとえ勤務時間が超過するようなことがあっても、連絡があればお客様のもとに走った。
何度か足を運ぶうちに頑固そうな町工場の社長も、あたりが柔らかくなり信頼関係ができた。
「長尾くんだから頼みたい」と言ってくれるお客様も増えた。信頼しているよと言われれば、社員としてできる範囲で、備品をサービスしたり、運賃の割引きをした。
一方で、企業の働き方に対する、社会の視線が厳しくなってきていた。だから休日はしっかりとれた。ただ所定の勤務時間を厳守するために休憩時間が長めに設定され、休憩時間を早めに切り上げて仕事に入ると、勤務時間としてカウントされない時間が増えた。残業規制も厳しくなり、タイムカードを切ったあとに残業したこともある。
●「美味しいたこ焼き屋がある!」
仲間うちでは、退職金も減額される、という噂も流れてきた。入社して、そろそろ15年になるころ。いまなら退職金は満額支給される。潮時…そんな言葉が思い浮かんだ。
宅配ドライバーとして働きながら、ずっと「この先何をしよう」と考え続けていた。
荷物の集荷をしているなかで、いろいろな経営者と出会い、さまざまな業態の変遷を感じてきた。返品率が高くなってきた会社、アパレルで成長した会社。
急に売れるようになるものも、その反対のものもあった。商材には流行りすたりがあり、売り上げは世の中の景気にも左右される。
そろそろ次のなりわいを真剣に考えるときかもしれない。どうもサラリーマンは向いていないらしいしなあ。
15年間働いた宅配の仕事を辞める決心をした。2008年ごろのことだ。
ちょうどその頃、先に辞め不動産会社で働いていた先輩から「新検見川にすごく美味しくて売れているたこ焼き屋がある」と聞いた。たこ焼きは大好きだし、特別の思い出がある。
小学生のころ、長尾さんはおばあちゃん子だった。三人兄弟の末っ子。父親は小学6年生のときに他界し、母親は働いていた。長尾さんが放課後にしばしば過ごしていたのは近所に住む祖母の家だった。
縁日は、とくに楽しみだった。おばあちゃんから、当時の500円札を渡され、「たこ焼きを買ってきて」と頼まれる。200円ほどのたこ焼きを買った残りは、お小遣いにしてよいのだ。
ただ、何より幸せな気持ちになったのは、買ってきたたこ焼きを受け取るときの祖母の嬉しそうな様子を見るときだった。思い出すたびに、心が温かくなる。
そんな思い出のあるたこ焼きではあるものの、そのときは深い考えもなく、先輩が美味しいといわれるたこ焼き屋に足を運んだ。
「たこ焼きってこんなにおいしいんだ!」
衝撃の味だった。「たこ焼きとの、2度目の出会いでしたね」。
これを、商売にしよう。

●売りたいものと売れるもの
その場で店主に「自分もたこ焼き屋をやりたい」と、修業させてほしいと頼んだ。
店主からはそれから1カ月して連絡があった。従業員が辞めたタイミングで、長尾さんのことを思い出してくれたようだ。
「1年間務めたら、フランチャイズ契約をして自分の店を出してよい」と言ってくれた。
有給休暇の消化中だった、忘れもしない12月8日。たこ焼き屋での修業をスタートした。1年間、みっちり働き、材料の調達や仕込み方、接客、経営面など、店舗経営に必要な知識やスキルをあますところなく吸収した。
店主は、常に新しいことを取り入れながらアグレッシブに商売に取り組むタイプだった。売れそうだと思えば、イカ焼きやお好み焼きなどたこ焼き以外の商品も積極的に取り入れた。食べやすくするため数を増やして一粒の大きさを小さくするという工夫もした。そして、やってみて売れなかったらすぐにまた方向転換する。
長尾さんは逆だった。今、売れているものを中心に徹底的に売っていこうという考え方だった。、だからこそ修業中は、自分にない部分を意識した。
●クロメたこ焼きが味わえる「たこ焼き長尾」
1年間、きっちり修業したのち、フランチャイズとして自分の店をスタートさせた。
フランチャイズのいいところは、スタート時点ですでにネームバリューがあり広告ツールなどもそのまま使えることだ。
ただ長尾さんはずっとフランチャイズでやっていくつもりはなかった。まずは独立を視野に経験値を上げ顧客を増やし、たこ焼き長尾ならではのウリを、確立していこうと考えた。
3年間で、ある程度の手応えをつかんだ。機は熟した。自分の店を!
「たこ焼き長尾」としての記念すべき第一歩は、青砥の地でスタートした。新検見川の店でも扱っていた「クロメ昆布」が材料の「クロメたこ焼き」を主力商品の一つにした。
クロメたこ焼きは大分にある店舗が元祖だ。健康によいフコイダンを豊富に含んだクロメ昆布が練り込まれており、独特の旨味があるファンの多い一品。元祖の店ではなんどかメディアにも取り上げられている。
最初は材料を仕入れているだけだったが、大分の店主と信頼関係が生まれ「長尾くんなら『クロメたこ焼き』っていう名前を使ってもいい」と言ってくれた。
現在の店舗は、青砥での2箇所目。駅からもほど近く、会社帰りの人、下校時の小中学生などが気軽に立ち寄れる立地だ。
そんなたこ焼き長尾には、いくつかのこだわりがある。
1 たこ焼き一筋
ここはたこ焼きの店。居酒屋のようにはしない。お好み焼きやイカ焼きは当面扱うつもりはない。たこ焼きの美味しさと楽しさを100%満喫してほしいのだ。
2 昭和の空間

店に一歩足を踏み入れると、そこは昭和にタイムスリップしたような空間だ。学校で使っていたような机、セルロイドの人形やリカちゃん人形。セルロイドは葛飾が発祥でありリカちゃんを生んだタカラトミーは葛飾に本社がある。
長尾さんは現在ただ一人のセルロイド職人に弟子入りした、セルロイド人形の後継者でもある。店内のケースにはレトロ感たっぷりのセルロイド人形が飾られている。葛飾区郷土と天文の博物館で、2016〜17年にはセルロイドの町 かつしかという企画展も行われている。
3 キャプテン翼

大人気漫画「キャプテン翼」の作者・高橋 陽一氏と懇意にしている。高橋氏は葛飾出身。なかでもたこ焼き長尾は高橋氏の行きつけの店だという。店内には直筆の作品が何枚も飾られている。自らも大ファンなのだ。店主と客という関係を超え、作品を通してファンのワクワクや地元葛飾区を盛り上げようという同志関係にもあるようだ。
4 家族と子どものご意見番
たこ焼き長尾には、他のお客様とともに安心してたこ焼きを楽しむための、マナーがある。たこ焼きが焼けるまで座って待つ。店内に飾られているアイテムにはむやみやたらに触らない。持ち込みは、たとえペットボトルの飲料でも厳禁。言ってみれば店としては当たり前のことだが「イマドキの子どもや大人が案外、守れないこともあるんです」。目についたら年齢にかまわず、躊躇なく、指摘する。行儀が悪い子どもには愛情をもって、目線の高さに立ち目を見てしかる。
子どもたちはしかられても、学校帰りにしばしば立ち寄る。家庭でも学校でもない、第三の居場所になっている。長尾さんの愛情をしっかりと感じとり兄貴のように慕っているのだろう。
●青砥から葛飾を盛り上げたい!
・キャプテン翼のまち、葛飾

「葛飾にはいいところがたくさんある。それが意外に区外には伝わっていなん気がするんです」と長尾さんは言う。そんな思いから、他の商店街の店主たちを巻き込み地域活性のアクションを進めている。一つが「葛飾区全体をキャプテン翼のまちに!」というプロジェクトだ。元々は四ツ木・立石など葛飾の一部で盛り上がっていたところに、長尾さんが一石投じた。馴染み客である作者の高橋氏との信頼関係も後押しとなり、区とも連携。ラッピングバスやキャラクターが描かれたのぼりをも作られた。
・商店街を交流と発信の場に
5年前には「みんなの青戸フェア」がスタート。これは長尾さんたち商店街の店主たちが区と直談判したことから動き出した。昨年の50周年イベントでは9,000人ほどが集まりタカラトミーの「まちあそび人生ゲームin葛飾」で盛り上がった。ルーレットを回して実際に商店街を歩いて回る、「リアル人生ゲーム」。街全体が盛り上がれば、高齢者も子供たちも、街に飛び出してくる。交流が生まれ、商店街がにぎわう。青砥の地で顔なじみもでき、愛されるたこ焼き屋になってきた。そんな葛飾への恩返しの気持ちからも、葛飾発祥のコンテンツを活用し、街を盛り上げたい。

●次代を担う子どもたちに
長尾さんには今の子どもたちに対する格別の思いがある。
「ストレス社会といわれ、子どもたちもは遊びといえばゲームばかり。外で遊ぶ機会がなくなり、子ども同士の生身の交流がなくなっている。地方は地方で過疎化が進み、人がどんどん減っている。そういうぼくらも、コミュニケーションという点からいうと過疎化している気がする。となりの家の人の顔も知らないし、会っても挨拶もしないこともある。
たこ焼き長尾は、アナログ的な交流の場として、人と人が話し合うきっかけづくりの場にしたい。街のイベントも同じ。イベントにやってくれば、会話が生まれ人と人がつながる。葛飾には、キャプテン翼やリカちゃん、セルロイドなど面白いコンテンツがたくさんある。子どもたちが交流の中心になって、人と人のつながりの楽しさを知り街への愛情をもって、未来の地域づくりを意識していってほしい。それが一人一人を育てることにもなると思う」

高校卒業後、自分は何者かを模索し続けるなかで、いろいろな出会いが自分を育てた。今でも、街と、そこに住む人が「たこ焼き長尾」の土台となっている。
これからも、美味しいたこ焼きが食べられて、交流できる居場所としての「たこ焼き長尾」を創り続ける。
たこ焼き長尾
https://twitter.com/tako_nagao
<長尾さんのお仕事4箇条>
☆長尾さんの横顔☆
・人が街をつくる
人と町が人を育てる。幼いころ住んだ谷中での記憶から、そんな実感を持つ長尾さんは人との関係、街づくりへの思いがある。人懐こい笑顔とポジティブオーラで商店街や区などビジネスでも地域活動でも人を巻き込みその輪を広げていく。
・興味の先に、人・モノ・
仕事でも趣味でも好きな分野にはとことん突き進む。その熱意に応えるかのように、タカラトミーの関連会社の経営陣の一人とも懇意にしている。おもちゃつながりでブリキのおもちゃ収集で知られる北原照久氏ともつながりがある。そのつながりが、店に飾られるアイテムによってたこ焼き長尾独自のワクワクする空間を作っている。
・店のアイテム
バイクが大好き。店内にも現役のバイクが3台置いてある。そしていわずもがな、キャプテン翼好き、昭和レトロ好きの延長でリカちゃん人形のコレクションもある。セルロイドは飾るだけでなく、後継者として職能習得にも力を入れる。
高校を卒業してからすぐについたのは、輸入車の販売の仕事だった。車が好きだったのが一番の理由だ。世の中はバブル経済の真っ只中。販売担当として、電話一本のトークだけで1台800万円台の高級車を1カ月で3台売った。
1年ほど務めた後、運転が好きだったこともあり引っ越し業者へ。2年ほど働いた。
仕事は全力投球で頑張ったが、どこか煮え切らない思いを抱えていた。自分に本当に向いている仕事はなんだろう。「これだ!」とやりがいを覚える仕事はなんだろう。
答えが出せないなか、同級生に誘われるままアメ横で貴金属を販売する仕事についた。
バブルが弾け、世の中の景気は急激に冷え込んでいた。外車販売のときと異なり、さっぱり売れなかった。
この仕事では一つには、「販売」のコツが身についた。機械的に売れるものではない、商品知識があるから売れるものでもない。路上販売はライブな感覚が大切だ。声をかけるタイミングや、その場のお客様の反応、トークの間の取り方で売れるか売れないかが大きく左右される。
一緒に販売に立っていた、リーダー各の同級生はたくみな話術で売っていた。端数が出たらおまけをしてとにかくさばけばよいだろう、という自分の考えとは逆なだけに、学ぶところも多かった。
従業員が、意識を一つにすることが何より大切であることも知ったのも、この時期だった。
ときに経営者は、外部との交渉やネットワークづくりで従業員とのコミュニケーションが十分にできないことがある。それが誤解につながり亀裂に発展することもある。
長尾さんが働いていた貴金属店も、前の日に営業接待などで飲んでいた経営者が朝遅く出勤してくることがあった。
当時はカチンときたが、今になれば、経営者のすべきことと従業員の仕事は違うということが身にしみてわかる。
●宅配ドライバーとして15年間
アクセサリー販売の後は、宅配ドライバーになった。固定給のほか、宅配の荷物を自身のアイディーでどれだけ扱ったかという成果報酬も収入の多くを占める給与体系だった。
同じ会社の従業員が、ときにライバル同士にもなる個人事業主の世界だ。
中には、売り上げをあげるために伝票にちょっとした小細工をしたり、お得意様と癒着して得た利益を自分の収入にしてしまう従業員もいた。
そんな彼らを横目に、長尾さんはとことん正義を貫いた。
大切にしたのは、お客様の依頼にいつでも誠実に応えること。困りごとがあれば相談にのること。たとえ勤務時間が超過するようなことがあっても、連絡があればお客様のもとに走った。
何度か足を運ぶうちに頑固そうな町工場の社長も、あたりが柔らかくなり信頼関係ができた。
「長尾くんだから頼みたい」と言ってくれるお客様も増えた。信頼しているよと言われれば、社員としてできる範囲で、備品をサービスしたり、運賃の割引きをした。
一方で、企業の働き方に対する、社会の視線が厳しくなってきていた。だから休日はしっかりとれた。ただ所定の勤務時間を厳守するために休憩時間が長めに設定され、休憩時間を早めに切り上げて仕事に入ると、勤務時間としてカウントされない時間が増えた。残業規制も厳しくなり、タイムカードを切ったあとに残業したこともある。
●「美味しいたこ焼き屋がある!」
仲間うちでは、退職金も減額される、という噂も流れてきた。入社して、そろそろ15年になるころ。いまなら退職金は満額支給される。潮時…そんな言葉が思い浮かんだ。
宅配ドライバーとして働きながら、ずっと「この先何をしよう」と考え続けていた。
荷物の集荷をしているなかで、いろいろな経営者と出会い、さまざまな業態の変遷を感じてきた。返品率が高くなってきた会社、アパレルで成長した会社。
急に売れるようになるものも、その反対のものもあった。商材には流行りすたりがあり、売り上げは世の中の景気にも左右される。
そろそろ次のなりわいを真剣に考えるときかもしれない。どうもサラリーマンは向いていないらしいしなあ。
15年間働いた宅配の仕事を辞める決心をした。2008年ごろのことだ。
ちょうどその頃、先に辞め不動産会社で働いていた先輩から「新検見川にすごく美味しくて売れているたこ焼き屋がある」と聞いた。たこ焼きは大好きだし、特別の思い出がある。
小学生のころ、長尾さんはおばあちゃん子だった。三人兄弟の末っ子。父親は小学6年生のときに他界し、母親は働いていた。長尾さんが放課後にしばしば過ごしていたのは近所に住む祖母の家だった。
縁日は、とくに楽しみだった。おばあちゃんから、当時の500円札を渡され、「たこ焼きを買ってきて」と頼まれる。200円ほどのたこ焼きを買った残りは、お小遣いにしてよいのだ。
ただ、何より幸せな気持ちになったのは、買ってきたたこ焼きを受け取るときの祖母の嬉しそうな様子を見るときだった。思い出すたびに、心が温かくなる。
そんな思い出のあるたこ焼きではあるものの、そのときは深い考えもなく、先輩が美味しいといわれるたこ焼き屋に足を運んだ。
「たこ焼きってこんなにおいしいんだ!」
衝撃の味だった。「たこ焼きとの、2度目の出会いでしたね」。
これを、商売にしよう。

●売りたいものと売れるもの
その場で店主に「自分もたこ焼き屋をやりたい」と、修業させてほしいと頼んだ。
店主からはそれから1カ月して連絡があった。従業員が辞めたタイミングで、長尾さんのことを思い出してくれたようだ。
「1年間務めたら、フランチャイズ契約をして自分の店を出してよい」と言ってくれた。
有給休暇の消化中だった、忘れもしない12月8日。たこ焼き屋での修業をスタートした。1年間、みっちり働き、材料の調達や仕込み方、接客、経営面など、店舗経営に必要な知識やスキルをあますところなく吸収した。
店主は、常に新しいことを取り入れながらアグレッシブに商売に取り組むタイプだった。売れそうだと思えば、イカ焼きやお好み焼きなどたこ焼き以外の商品も積極的に取り入れた。食べやすくするため数を増やして一粒の大きさを小さくするという工夫もした。そして、やってみて売れなかったらすぐにまた方向転換する。
長尾さんは逆だった。今、売れているものを中心に徹底的に売っていこうという考え方だった。、だからこそ修業中は、自分にない部分を意識した。
●クロメたこ焼きが味わえる「たこ焼き長尾」
1年間、きっちり修業したのち、フランチャイズとして自分の店をスタートさせた。
フランチャイズのいいところは、スタート時点ですでにネームバリューがあり広告ツールなどもそのまま使えることだ。
ただ長尾さんはずっとフランチャイズでやっていくつもりはなかった。まずは独立を視野に経験値を上げ顧客を増やし、たこ焼き長尾ならではのウリを、確立していこうと考えた。

3年間で、ある程度の手応えをつかんだ。機は熟した。自分の店を!
「たこ焼き長尾」としての記念すべき第一歩は、青砥の地でスタートした。新検見川の店でも扱っていた「クロメ昆布」が材料の「クロメたこ焼き」を主力商品の一つにした。
クロメたこ焼きは大分にある店舗が元祖だ。健康によいフコイダンを豊富に含んだクロメ昆布が練り込まれており、独特の旨味があるファンの多い一品。元祖の店ではなんどかメディアにも取り上げられている。
最初は材料を仕入れているだけだったが、大分の店主と信頼関係が生まれ「長尾くんなら『クロメたこ焼き』っていう名前を使ってもいい」と言ってくれた。
現在の店舗は、青砥での2箇所目。駅からもほど近く、会社帰りの人、下校時の小中学生などが気軽に立ち寄れる立地だ。
そんなたこ焼き長尾には、いくつかのこだわりがある。
1 たこ焼き一筋
ここはたこ焼きの店。居酒屋のようにはしない。お好み焼きやイカ焼きは当面扱うつもりはない。たこ焼きの美味しさと楽しさを100%満喫してほしいのだ。
2 昭和の空間

店に一歩足を踏み入れると、そこは昭和にタイムスリップしたような空間だ。学校で使っていたような机、セルロイドの人形やリカちゃん人形。セルロイドは葛飾が発祥でありリカちゃんを生んだタカラトミーは葛飾に本社がある。
長尾さんは現在ただ一人のセルロイド職人に弟子入りした、セルロイド人形の後継者でもある。店内のケースにはレトロ感たっぷりのセルロイド人形が飾られている。葛飾区郷土と天文の博物館で、2016〜17年にはセルロイドの町 かつしかという企画展も行われている。
3 キャプテン翼

大人気漫画「キャプテン翼」の作者・高橋 陽一氏と懇意にしている。高橋氏は葛飾出身。なかでもたこ焼き長尾は高橋氏の行きつけの店だという。店内には直筆の作品が何枚も飾られている。自らも大ファンなのだ。店主と客という関係を超え、作品を通してファンのワクワクや地元葛飾区を盛り上げようという同志関係にもあるようだ。
4 家族と子どものご意見番
たこ焼き長尾には、他のお客様とともに安心してたこ焼きを楽しむための、マナーがある。たこ焼きが焼けるまで座って待つ。店内に飾られているアイテムにはむやみやたらに触らない。持ち込みは、たとえペットボトルの飲料でも厳禁。言ってみれば店としては当たり前のことだが「イマドキの子どもや大人が案外、守れないこともあるんです」。目についたら年齢にかまわず、躊躇なく、指摘する。行儀が悪い子どもには愛情をもって、目線の高さに立ち目を見てしかる。
子どもたちはしかられても、学校帰りにしばしば立ち寄る。家庭でも学校でもない、第三の居場所になっている。長尾さんの愛情をしっかりと感じとり兄貴のように慕っているのだろう。
●青砥から葛飾を盛り上げたい!
・キャプテン翼のまち、葛飾

「葛飾にはいいところがたくさんある。それが意外に区外には伝わっていなん気がするんです」と長尾さんは言う。そんな思いから、他の商店街の店主たちを巻き込み地域活性のアクションを進めている。一つが「葛飾区全体をキャプテン翼のまちに!」というプロジェクトだ。元々は四ツ木・立石など葛飾の一部で盛り上がっていたところに、長尾さんが一石投じた。馴染み客である作者の高橋氏との信頼関係も後押しとなり、区とも連携。ラッピングバスやキャラクターが描かれたのぼりをも作られた。
・商店街を交流と発信の場に
5年前には「みんなの青戸フェア」がスタート。これは長尾さんたち商店街の店主たちが区と直談判したことから動き出した。昨年の50周年イベントでは9,000人ほどが集まりタカラトミーの「まちあそび人生ゲームin葛飾」で盛り上がった。ルーレットを回して実際に商店街を歩いて回る、「リアル人生ゲーム」。街全体が盛り上がれば、高齢者も子供たちも、街に飛び出してくる。交流が生まれ、商店街がにぎわう。青砥の地で顔なじみもでき、愛されるたこ焼き屋になってきた。そんな葛飾への恩返しの気持ちからも、葛飾発祥のコンテンツを活用し、街を盛り上げたい。

●次代を担う子どもたちに
長尾さんには今の子どもたちに対する格別の思いがある。
「ストレス社会といわれ、子どもたちもは遊びといえばゲームばかり。外で遊ぶ機会がなくなり、子ども同士の生身の交流がなくなっている。地方は地方で過疎化が進み、人がどんどん減っている。そういうぼくらも、コミュニケーションという点からいうと過疎化している気がする。となりの家の人の顔も知らないし、会っても挨拶もしないこともある。
たこ焼き長尾は、アナログ的な交流の場として、人と人が話し合うきっかけづくりの場にしたい。街のイベントも同じ。イベントにやってくれば、会話が生まれ人と人がつながる。葛飾には、キャプテン翼やリカちゃん、セルロイドなど面白いコンテンツがたくさんある。子どもたちが交流の中心になって、人と人のつながりの楽しさを知り街への愛情をもって、未来の地域づくりを意識していってほしい。それが一人一人を育てることにもなると思う」

高校卒業後、自分は何者かを模索し続けるなかで、いろいろな出会いが自分を育てた。今でも、街と、そこに住む人が「たこ焼き長尾」の土台となっている。
これからも、美味しいたこ焼きが食べられて、交流できる居場所としての「たこ焼き長尾」を創り続ける。
たこ焼き長尾
https://twitter.com/tako_nagao
<長尾さんのお仕事4箇条>
●仕事も趣味もとことん追求 ●ニッポンのガンコ親父を貫く ●地域の人と向き合い、ともに成長する ●地域の資源を活用し街を盛り上げる |
☆長尾さんの横顔☆
・人が街をつくる
人と町が人を育てる。幼いころ住んだ谷中での記憶から、そんな実感を持つ長尾さんは人との関係、街づくりへの思いがある。人懐こい笑顔とポジティブオーラで商店街や区などビジネスでも地域活動でも人を巻き込みその輪を広げていく。
・興味の先に、人・モノ・
仕事でも趣味でも好きな分野にはとことん突き進む。その熱意に応えるかのように、タカラトミーの関連会社の経営陣の一人とも懇意にしている。おもちゃつながりでブリキのおもちゃ収集で知られる北原照久氏ともつながりがある。そのつながりが、店に飾られるアイテムによってたこ焼き長尾独自のワクワクする空間を作っている。
・店のアイテム
バイクが大好き。店内にも現役のバイクが3台置いてある。そしていわずもがな、キャプテン翼好き、昭和レトロ好きの延長でリカちゃん人形のコレクションもある。セルロイドは飾るだけでなく、後継者として職能習得にも力を入れる。