森を舞台に歌い、自然の一部になる
- 2020/08/23
- 18:12

磨き上げたワザで、お客様を楽しませるパフォーマンスや、
感動を呼び心地よい空間をつくる歌、
笑いや気づきを生む舞台・映像。
歌、舞台、映像を鑑賞したお客様のダイレクトな反応が、仕事への評価です。
これがエンターテインメントの醍醐味ともいえます。

歌うことは生きること、生きていくこと。
森を舞台に歌い、自然の一部になる。
山田 証(森のシンガーソングライター)
【モットー】
自分が何者かを決めれば自ずと道は拓ける
【なりわいのすじみち】
父は牧師だった。こどものころ生き生きと仕事をする父と、父を支える母、兄弟と素朴で楽しい生活を送った。感受性は人一倍強い一方、自分を表現することは苦手。学校では居場所を見つけるのが難しくなった。今でいう不登校だ。そんな少年が見出した光は、中学時代の教師が誘ってくれた演劇活動だった。演劇の世界では、ことさらに自分をアピールしなくても、そこに役割としての居場所が用意されていた。演劇を通して知った、「表現活動」は、自分自身の存在、生きていくこと、それ自体になっていった。
●自分は何者なのか
父親は牧師。引っ越しも多くひとつの学校に長くいたためしがない。もともとおとなしいたちで、友達もそれほど多くはなかった。中学時代、そんな性分が影響してか、学校に行かなくなった。
家族は、あたたかく、そんな自分を受け止めてくれた。ただ、繊細で人一倍感受性の強い少年にとって、その温かさは「表面上の」「一般社会常識に照らして適正な」としか思えなかった。
学校にも家庭にも居場所はない。ずっとそう感じ続けた。
そんな少年を、中学時代のある教師が、演劇部の活動に誘った。教師にしてみれば通常の学校生活になじめない生徒に、なんらかの活動の場を与えることで、学校の場から離れた毎日に変化をもたらすことができるかもしれない、と考えたのかもしれない。
●そこに場所があった
誘われるままに、演劇の活動に加わった。新鮮な気づきがあった。演劇部の活動では、かなら必ず一人ひとりに「場」が用意されていたことだ。
どんな端役でも役がつけば、その作品にとっては大切な要素の一つだ。その役がなければ演劇そのものが成り立たないからだ。
あがかなくていい、いづらさをおぼえなくていいという安心感があった。やがて安心感に加えて面白さや楽しさが加わった。
「表現活動」への躍動感が育まれていった。
高校は通信制に進学。自分は芝居を通してやっとゼロ、いわゆる人並みに戻ったと感じるようになっていた。20代の半ばまでずっと芝居を続け、小さな劇団も立ち上げた。
「表現」は転職だと思えた。しかし芝居では食べていけないこともわかってきた。かかわる人数が多く、コストがかかるから、食べていく手段としては適当ではない。
そこで、芝居で体得した発声方法を生かして歌を表現手段に選んだ。
「シンガーソングライター」として作詞作曲をして自ら歌えば、コストはかからない。音楽の世界で「表現者」として生きていくことを、自身のなりわいと決めた。
●表現とはなんだ?
20代後半のころ、自分の思いに添う、自分が表現したいものを表現する曲が作れるようになった。
しかしそれらの曲を発信しても、世の中には評価されなかった。オーディションに数えきれないほど出ても、箸にも棒にも引っかからない。
オーディションの担当者やプロデューサーと言われる人々は、こぞって「世の中でいま流行りの歌を聞いてみろ、売れる歌、ウケる歌をかけ」という。ウケる歌を書いて全国を回ってツアーをすれば、各地でファンがつく。彼、彼女らを総計すればそれなりに「食える」歌い手になれるというのだ。
反発心がわいた。自身の魂から滲み出るものが表現だ。大衆に迎合するなんて表現者とは違う。
心のなかで毒づいた。「売れる曲なんて、糞食らえ」。
●ひょろりとした一本の木
自分の思いに添う表現にこだわる歌手活動は、なかなか軌道にはのらなかった。
歌で食べていけないため、歌と関係のないアルバイトで生活をつないでいくしかなかった。
ある日、ぼんやりと川を眺めていると、中洲あたりに一本のひょろりとした木がはえていた。ひょろっとしていてへんちくりんな形。木だけを見たら貧弱で印象にも残らないはずの木だった。
しかしその木は、何かを表現している、と思えた。理由を考えてみた。まわりの風景になじむことで、不思議な存在感を示しているのだとわかった。
へんてこりんな木なのに、まわりの風景と馴染み、一体となって一つの表現になっている。
それに比べて、自分の曲はどうだ。同じように変だけれど、まわりとはまったくなじまず浮いている。
自身が表現と思っても、他の人からは表現だと認めてもらえないのだ。
唐突に思った。音楽で突き進んで行く前に、まずは樹木のことを学んだほうがよいのではないか?それが、唯一最善の道だと判断した。
●森林のなかのミュージシャン
4、5年かけて林業、造園業、自然ガイド、子供達を対象にした環境教育などの仕事に携わった。林業では、チェーンソーを使っていかに杉の木を効率よく倒すか。造園業では、木の剪定の方法。環境教育は、自然を言語化し伝える能力。
それぞれの仕事の場で、徹底的に木を感じ、触れ、木と樹木について考え、学び、さまざまな切り口で木に関するスキルや知識を身につけた。
同時に、表現についても追求しつづけた。あのひょろっとした木のある光景と自身の表現の違いはなんだろう。
あるとき、腑に落ちた。
中洲にあった木に限らず、自然の造形物はすべてそれぞれ固有の形状でそこに存在する理由がある。
たとえば、柊の葉っぱがぎざぎざの形なのは、理由がある。ぎざぎざが引き起こす小さな乱気流が空気を生み、葉の表面温度を一定に保つことができるのだ。
木の幹がでこぼこなのは、たくさんの生き物を住まわせるためだ。
人間が、美しさや心地よさを感じる自然の光景は、すべて理由があって生み出されている精緻な機能美なのだと気付いた。
もう一つ、こうしたことを考える大きな引き金になったものがある。それは20歳のころに出会った、写真家の星野道夫さんの、アラスカを描いた本だ。写真と言葉とともにアラスカの、厳しくも壮大な自然のありようが伝わってきた。
星野さんのすごさとあいまって、何よりそのときの自分が感動したのは本に描かれるアラスカそのものだった。
やっとわかってきた。自分の音楽は「魂から生み出されるもの」であり、同時に機能するものでなければならない。
だが、音楽も「機能」すれば調和を生み出しそこに美や共感が生まれる。簡単な方法は、「売れる」歌を作ることだが、自分は違う。
そこで思いついたのが森林を伝えるミュージシャン、というあり方だ。自然のなかで機能する音楽。めざすのは森林を言葉でつむぎながら、音楽で表現し森林と音楽を融合させ人々に心地よさや感動を与えるミュージシャン。
●音楽は森を演出する道具
人も森もシチュエーション。そのシーンに歌がある。音楽は、森を演出する道具。
森林のあらゆるシーンで、うまく機能として当てはまる音楽を創り奏でるミュージシャンをなりわいとして生きていこう、と決めた。屋号は「森の歌会」、肩書きを「森のシンガーソングライター」とした。
聴衆は、親子や自然好きな大人、森と音楽の組み合わせに共感をおぼえる人たちだった。
「ごろんコンサート」と名付けたコンサートでは、曲の合間に、林業、造園業、自然ガイド、自然学校で習得した知識を織り交ぜ、森林について話す。

ごろんコンサートでは、音楽をより心地よく聴くための環境を先に設定する。夜の森で焚き火に当たる。一本の木の下に寝転がる。そういうシチュエーションを先に設定し、聴くお客様の環境をよくしていくことに徹したうえで音楽をのせていく。
これまで林業や環境教育は、音楽業界とはあまり親和性がなかった。それらをつなぐす音楽活動という新ジャンルを実践していくと決めた。
4-5年前からは、定住する家を持たない生活を始めた。キャンピングカーを駆って全国をまわり、キャンピングカーで眠り車を止めたところを旅先の逗留先とする。
これも自分らしい生き方を表現していくミュージシャンの体現の一つだ。
●すべての人、場所に神が宿る
たくさん考え、悩みぬき、自身は何者かを追求しつづけ、納得のいく生き方を探し続けた。
「表現者になる」と決めて、完璧な表現をめざし完成させても、それは即、食べていけるだけの”なりわい”にはなり得なかった。
周囲の光景とハーモ二ーを醸す一本の木に出会った。その様子に、自身の道を開くヒントがあると考えた。自然のありようから知ることが自身の表現活動のヒントになると考え、自然に対してあらゆるアプローチを行なった。
わかったのは、自然の造形物は、互いを演出しあい、融合することでその風景をつくるということだ。
音楽も、森のなかの一コンテンツとして機能することで、表現としての世界観が生まれる。
いま、生活はいたってシンプルで、自然に添うスタイルだ。持ち物は最小限で、食費を節約するためにはときに自然にはえる、食べられる植物を調理して食べる。人に助けてもらうことも多い。
必要以上に物やお金を求めず、エネルギーの流れに逆らわない生き方はシンプルな思考を生む。すると、心を平静に保ち、常に状況を俯瞰したうえでの冷静な判断ができる。
そうした、どこか修行僧のような生活を送っているうちに、宗教的な心持ちも生まれ、神の存在を意識するようになった。
ただ、特定の宗教を信仰するわけではない。どんな場所にも、どんな人のなかにも、神が宿ると考えるようになったのだ。苦しい状況、苦手な相手からも何かメッセージがあり学びがある。試練は成長につながる。そうした導きをしてくれるのが神、という捉え方だ。
●自分が何者かを決めること<
人との関係に悩む。生きにくい。仕事がつづかない。何をしたよいかわからない。
そんな人がいるとしたら、言いたいことが二つある。
ひとつが「自分が何者かを定める」、もうひとつは「手始めにでも、一つのことをやり抜く」。
大それたことでなくてもいい。ワクワクすることを一つ決める。絵を描く、ファンになったお笑い芸人の追っかけをする、好きな作家の漫画を読む。それらを決めて実行し続け、折に触れて自身を俯瞰してみる。
ワクワクする自分が少しずつ変化していくのを、ときどき味わい、流れに沿って軌道修正を重ねていくうちに「食事も忘れて夢中になれる」と思えることにたどりつく。
「すぐに結果が出なくても、何十年かけても惜しくねえよって思えること、一生をかけてやっていきたいと思えること。それが、何者かを決めた、ということであり、人生の指針になる」。
何者かを決め自分のやりたいことをやりきっている、という充足感が生まれると、あとは勝手にいろんなことが開けていく。
自身は、コンサートの依頼がふえ「歌で食べていける」状態になってきた。
コラボレーションしたい相手も現れた。
●今後の展開
いまは、新型コロナの影響で、予定されていた森の歌会の開催がむずかしくなってきた。それでもできることは、ある。
現地に行けなければ、ウエブ配信を行う。収録した様子を視聴していただく。
森の音楽を伝えることは、さまざまな手法でできる。
「世の中の現象は前提条件を得て初めて解が得られ、決めることで初めてそこを起点に現象が起こる。自然現象がそのようになっているように」。
いまの状況も、自分にとり次へのステージへとつづく、「神」からもたらされた啓示かもしれない。
山田証さんのお仕事4箇条
●自分が何者かを決める
●何をしたいかに加え、どんな役割を果たせるかを考える
●自身の変化を味わい、ときに俯瞰する
●試練は成長への第一歩
山田証公式ウエブサイト
https://akashi.uzura.info/
Facebookページ
https://www.facebook.com/caribou.1000000
自分が何者かを決めれば自ずと道は拓ける
【なりわいのすじみち】
父は牧師だった。こどものころ生き生きと仕事をする父と、父を支える母、兄弟と素朴で楽しい生活を送った。感受性は人一倍強い一方、自分を表現することは苦手。学校では居場所を見つけるのが難しくなった。今でいう不登校だ。そんな少年が見出した光は、中学時代の教師が誘ってくれた演劇活動だった。演劇の世界では、ことさらに自分をアピールしなくても、そこに役割としての居場所が用意されていた。演劇を通して知った、「表現活動」は、自分自身の存在、生きていくこと、それ自体になっていった。
子どものころ、生きづらさをおぼえ、学校に行かなくなった。両親はあたたかかった。ただ、どんなに温かくてもその裏には「学校は行くもの」という大人の事情が見え隠れてしている、と感じてしまう。学校にも家庭にも、真の意味での居場所はなかった。中学生のときに演劇に出会い「表現する」という生き方があることを知った。成長するにつれ、食べていくための術を模索し始めたとき、選んだのが歌。演劇で習得した発声法と1人でやっていけるものという要素を組み合わせればできると考えたからだ。その瞬間から、歌で生きる楽しさと、なりわいにしていくための厳しさのはざまでの、試行錯誤の道のりが始まった。 |
●自分は何者なのか
父親は牧師。引っ越しも多くひとつの学校に長くいたためしがない。もともとおとなしいたちで、友達もそれほど多くはなかった。中学時代、そんな性分が影響してか、学校に行かなくなった。
家族は、あたたかく、そんな自分を受け止めてくれた。ただ、繊細で人一倍感受性の強い少年にとって、その温かさは「表面上の」「一般社会常識に照らして適正な」としか思えなかった。
学校にも家庭にも居場所はない。ずっとそう感じ続けた。
そんな少年を、中学時代のある教師が、演劇部の活動に誘った。教師にしてみれば通常の学校生活になじめない生徒に、なんらかの活動の場を与えることで、学校の場から離れた毎日に変化をもたらすことができるかもしれない、と考えたのかもしれない。
●そこに場所があった
誘われるままに、演劇の活動に加わった。新鮮な気づきがあった。演劇部の活動では、かなら必ず一人ひとりに「場」が用意されていたことだ。
どんな端役でも役がつけば、その作品にとっては大切な要素の一つだ。その役がなければ演劇そのものが成り立たないからだ。
あがかなくていい、いづらさをおぼえなくていいという安心感があった。やがて安心感に加えて面白さや楽しさが加わった。
「表現活動」への躍動感が育まれていった。
高校は通信制に進学。自分は芝居を通してやっとゼロ、いわゆる人並みに戻ったと感じるようになっていた。20代の半ばまでずっと芝居を続け、小さな劇団も立ち上げた。
「表現」は転職だと思えた。しかし芝居では食べていけないこともわかってきた。かかわる人数が多く、コストがかかるから、食べていく手段としては適当ではない。
そこで、芝居で体得した発声方法を生かして歌を表現手段に選んだ。
「シンガーソングライター」として作詞作曲をして自ら歌えば、コストはかからない。音楽の世界で「表現者」として生きていくことを、自身のなりわいと決めた。
●表現とはなんだ?
20代後半のころ、自分の思いに添う、自分が表現したいものを表現する曲が作れるようになった。
しかしそれらの曲を発信しても、世の中には評価されなかった。オーディションに数えきれないほど出ても、箸にも棒にも引っかからない。
オーディションの担当者やプロデューサーと言われる人々は、こぞって「世の中でいま流行りの歌を聞いてみろ、売れる歌、ウケる歌をかけ」という。ウケる歌を書いて全国を回ってツアーをすれば、各地でファンがつく。彼、彼女らを総計すればそれなりに「食える」歌い手になれるというのだ。
反発心がわいた。自身の魂から滲み出るものが表現だ。大衆に迎合するなんて表現者とは違う。
心のなかで毒づいた。「売れる曲なんて、糞食らえ」。
●ひょろりとした一本の木
自分の思いに添う表現にこだわる歌手活動は、なかなか軌道にはのらなかった。
歌で食べていけないため、歌と関係のないアルバイトで生活をつないでいくしかなかった。
ある日、ぼんやりと川を眺めていると、中洲あたりに一本のひょろりとした木がはえていた。ひょろっとしていてへんちくりんな形。木だけを見たら貧弱で印象にも残らないはずの木だった。
しかしその木は、何かを表現している、と思えた。理由を考えてみた。まわりの風景になじむことで、不思議な存在感を示しているのだとわかった。
へんてこりんな木なのに、まわりの風景と馴染み、一体となって一つの表現になっている。
それに比べて、自分の曲はどうだ。同じように変だけれど、まわりとはまったくなじまず浮いている。
自身が表現と思っても、他の人からは表現だと認めてもらえないのだ。
唐突に思った。音楽で突き進んで行く前に、まずは樹木のことを学んだほうがよいのではないか?それが、唯一最善の道だと判断した。
●森林のなかのミュージシャン
4、5年かけて林業、造園業、自然ガイド、子供達を対象にした環境教育などの仕事に携わった。林業では、チェーンソーを使っていかに杉の木を効率よく倒すか。造園業では、木の剪定の方法。環境教育は、自然を言語化し伝える能力。
それぞれの仕事の場で、徹底的に木を感じ、触れ、木と樹木について考え、学び、さまざまな切り口で木に関するスキルや知識を身につけた。
同時に、表現についても追求しつづけた。あのひょろっとした木のある光景と自身の表現の違いはなんだろう。
あるとき、腑に落ちた。
中洲にあった木に限らず、自然の造形物はすべてそれぞれ固有の形状でそこに存在する理由がある。
たとえば、柊の葉っぱがぎざぎざの形なのは、理由がある。ぎざぎざが引き起こす小さな乱気流が空気を生み、葉の表面温度を一定に保つことができるのだ。
木の幹がでこぼこなのは、たくさんの生き物を住まわせるためだ。

もう一つ、こうしたことを考える大きな引き金になったものがある。それは20歳のころに出会った、写真家の星野道夫さんの、アラスカを描いた本だ。写真と言葉とともにアラスカの、厳しくも壮大な自然のありようが伝わってきた。
星野さんのすごさとあいまって、何よりそのときの自分が感動したのは本に描かれるアラスカそのものだった。
やっとわかってきた。自分の音楽は「魂から生み出されるもの」であり、同時に機能するものでなければならない。
だが、音楽も「機能」すれば調和を生み出しそこに美や共感が生まれる。簡単な方法は、「売れる」歌を作ることだが、自分は違う。
そこで思いついたのが森林を伝えるミュージシャン、というあり方だ。自然のなかで機能する音楽。めざすのは森林を言葉でつむぎながら、音楽で表現し森林と音楽を融合させ人々に心地よさや感動を与えるミュージシャン。
●音楽は森を演出する道具
人も森もシチュエーション。そのシーンに歌がある。音楽は、森を演出する道具。
森林のあらゆるシーンで、うまく機能として当てはまる音楽を創り奏でるミュージシャンをなりわいとして生きていこう、と決めた。屋号は「森の歌会」、肩書きを「森のシンガーソングライター」とした。
聴衆は、親子や自然好きな大人、森と音楽の組み合わせに共感をおぼえる人たちだった。
「ごろんコンサート」と名付けたコンサートでは、曲の合間に、林業、造園業、自然ガイド、自然学校で習得した知識を織り交ぜ、森林について話す。

ごろんコンサートでは、音楽をより心地よく聴くための環境を先に設定する。夜の森で焚き火に当たる。一本の木の下に寝転がる。そういうシチュエーションを先に設定し、聴くお客様の環境をよくしていくことに徹したうえで音楽をのせていく。
これまで林業や環境教育は、音楽業界とはあまり親和性がなかった。それらをつなぐす音楽活動という新ジャンルを実践していくと決めた。
4-5年前からは、定住する家を持たない生活を始めた。キャンピングカーを駆って全国をまわり、キャンピングカーで眠り車を止めたところを旅先の逗留先とする。
これも自分らしい生き方を表現していくミュージシャンの体現の一つだ。
●すべての人、場所に神が宿る
たくさん考え、悩みぬき、自身は何者かを追求しつづけ、納得のいく生き方を探し続けた。
「表現者になる」と決めて、完璧な表現をめざし完成させても、それは即、食べていけるだけの”なりわい”にはなり得なかった。
周囲の光景とハーモ二ーを醸す一本の木に出会った。その様子に、自身の道を開くヒントがあると考えた。自然のありようから知ることが自身の表現活動のヒントになると考え、自然に対してあらゆるアプローチを行なった。
わかったのは、自然の造形物は、互いを演出しあい、融合することでその風景をつくるということだ。
音楽も、森のなかの一コンテンツとして機能することで、表現としての世界観が生まれる。
いま、生活はいたってシンプルで、自然に添うスタイルだ。持ち物は最小限で、食費を節約するためにはときに自然にはえる、食べられる植物を調理して食べる。人に助けてもらうことも多い。
必要以上に物やお金を求めず、エネルギーの流れに逆らわない生き方はシンプルな思考を生む。すると、心を平静に保ち、常に状況を俯瞰したうえでの冷静な判断ができる。
そうした、どこか修行僧のような生活を送っているうちに、宗教的な心持ちも生まれ、神の存在を意識するようになった。
ただ、特定の宗教を信仰するわけではない。どんな場所にも、どんな人のなかにも、神が宿ると考えるようになったのだ。苦しい状況、苦手な相手からも何かメッセージがあり学びがある。試練は成長につながる。そうした導きをしてくれるのが神、という捉え方だ。
●自分が何者かを決めること<
人との関係に悩む。生きにくい。仕事がつづかない。何をしたよいかわからない。
そんな人がいるとしたら、言いたいことが二つある。
ひとつが「自分が何者かを定める」、もうひとつは「手始めにでも、一つのことをやり抜く」。
大それたことでなくてもいい。ワクワクすることを一つ決める。絵を描く、ファンになったお笑い芸人の追っかけをする、好きな作家の漫画を読む。それらを決めて実行し続け、折に触れて自身を俯瞰してみる。
ワクワクする自分が少しずつ変化していくのを、ときどき味わい、流れに沿って軌道修正を重ねていくうちに「食事も忘れて夢中になれる」と思えることにたどりつく。
「すぐに結果が出なくても、何十年かけても惜しくねえよって思えること、一生をかけてやっていきたいと思えること。それが、何者かを決めた、ということであり、人生の指針になる」。
何者かを決め自分のやりたいことをやりきっている、という充足感が生まれると、あとは勝手にいろんなことが開けていく。
自身は、コンサートの依頼がふえ「歌で食べていける」状態になってきた。
コラボレーションしたい相手も現れた。
●今後の展開
いまは、新型コロナの影響で、予定されていた森の歌会の開催がむずかしくなってきた。それでもできることは、ある。
現地に行けなければ、ウエブ配信を行う。収録した様子を視聴していただく。
森の音楽を伝えることは、さまざまな手法でできる。
「世の中の現象は前提条件を得て初めて解が得られ、決めることで初めてそこを起点に現象が起こる。自然現象がそのようになっているように」。
いまの状況も、自分にとり次へのステージへとつづく、「神」からもたらされた啓示かもしれない。
山田証さんのお仕事4箇条
●自分が何者かを決める
●何をしたいかに加え、どんな役割を果たせるかを考える
●自身の変化を味わい、ときに俯瞰する
●試練は成長への第一歩
山田証公式ウエブサイト
https://akashi.uzura.info/
Facebookページ
https://www.facebook.com/caribou.1000000